見出し画像

【20分で書く掌編】第13回「鳩のリストラ」

(ほぼ)毎朝、ゴミを出しに行くまでの(ほぼ)20分で書く掌編。

夜の8時、505号室のベルを押したのは、マンション理事会の尾形だ。

「こんばんは」

「あ、どうも」

開いたドアから、向井が顔を出す。一人で住んでいる、60歳を過ぎた退職老人だ。

「このあいだ、回覧板で回した、鳩の駆除の件ですけど」

「ああ、あれですか」

「お隣の横山さんも、ベランダの糞害がひどいとおっしゃっています。向井さんのところは大丈夫ですか」

「うちは大丈夫です」

「それでも、最上階の5階で、被害の声が多いです」

すでに回覧板で知らせた話を、尾形は繰り返した。

「予算を割いて、剣山みたいな鳥よけを置いて対策しようと思いますが、向井さんからは、まだ賛否のご返事をいただいていないので」

「私は反対です」

向井はそう言うと、

「あ、このままではなんですから、お入りになりませんか」

と尾形を家に招き入れた。


「あなたは、鳩をなんだと思っているのですか」

「鳩をですか?」

向井に聞かれ、応接室のソファに座った尾形は少し驚いて答えた。

「なんとも思っていませんが。鳩は鳩でしょう」

「この辺にいるのはドバトです。日本の街中にいるのはだいたいドバトです」

「ドバト・・・はい、そうですね。どこにでもいる鳩です」

「ドバト、というのはもともと野生の鳥ではないことを知っていますか」

「はあ、そうなんですか」

「カワラバトという野生種を、人間が飼育・交配させて出来たのがドバトです」

「はあ」

「人間が飼っていたんです。紀元前からです。伝書鳩とか、レース鳩とかで」

「ああ、伝書鳩は聞いたことありますね。情報をメモに書いて、鳩の足につけるんでしたっけ」

「新聞社なんかも、戦前は伝書鳩を使っていた。新聞社の屋上には鳩小屋があってね。戦後すぐまでは、まだ伝書鳩係の社員がいましたよ」

「はあ、そうなんですね」

「あと、レース鳩というのもいた。鳩の速さを競うんです。今でもヨーロッパではやっていますよ。そういう人間が飼育していた鳩が、野生化したのがドバトなんです」

「いまのドバト、全部ですか」

「全部です。伝書鳩もレース鳩も、仕事の途中で道に迷って帰れなくなるのがかなりいたんです。それに昔は、何かイベントがあるたびに、鳩をドバッと大量に空に放っていたんですよ。知りませんか?」

「ああ、なんか見たような」

「たとえば東京オリンピックの開会式では8000羽の鳩が放たれました。あれは東京だけじゃない、オリンピック憲章で、聖火点火のあとに鳩を放つよう決まっていたんです」

「へえ」

「そういうのが野生化していったんです」

「なるほど」

「だから鳩は、人間が近づいても、逃げないでしょう。鳥は、人間を見たら逃げるのが普通です。人間から逃げないのは、鳩と、スズメだけです。スズメがなぜ人間を怖がらないのか、いまの鳥類学でも謎とされているのですが、鳩が逃げない理由は明白です。もともと人間と共に生きていたからです」

「なるほど、話が見えてきました」

と尾形は向井に言った。

「だから、鳩がかわいそうだ、と。向井さんはそう思われるわけですね」


「そうです。人間の都合で生み出して、用がなくなると野に捨てた。そして、その野からも追い払おうとしている」

と向井は少し遠い目をして言う。

「私も長年、新聞社に勤めていました。最後の伝書鳩係だった人から話を聞いたこともあるんです。仕事がなくなって、飼っていた鳩たちを空に放った時は、とても寂しかった、と」

「はあ」

「いわば、リストラされたんですな、鳩は。そしてホームレスになった。でも、かつては人間と一緒に仕事をしていたわけですから。どうしても人間のそばに来るんです」

「かわいそうだとは思いますが、糞害は事実ですし・・・」

「あなたは、人をリストラしたことがありますか」

向井の声が急に大きくなった。

「あ、すみません。大きな声を出して」

「いえいえ」

「私はリストラしたことがあります。新聞社はどんどん景気が悪くなって、中間管理職だった私は、何人もの人のクビを切りました。まず非正規の社員から、そして年齢がいった正社員の早期退職勧奨・・・」

「・・・」

「あれは、つらいものですよ。切られるほうはもちろんつらいけど、切るほうもつらい。辞めてほしい、と言ったときの、相手の顔が今も忘れられない。たくさんの顔が・・・」

「はあ」

「そして、しばらくしたら、私自身もリストラされました」

「そうですか・・・」

向井がうつむいて黙ったのを機に、尾形はソファから立ち上がった。

「お気持ちはわかりました。理事会にお伝えしますよ」

「おわかりいただけましたか。よろしくお伝えください」

「その上で、またうかがうかもしれません」

「わかりました」

尾形が505号室を出ると、向井はドアから横顔をのぞかせ、「おやすみなさい」と言った。

その揺れる横顔が、なんか鳩みたいだと尾形は思った。


(終わり)


*参考:三上修「身近な鳥の生活図鑑」








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?