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低身長の人生

私の身長は低く、男として数々苦労してきた。

身長は、男の場合、容姿の第一の評価基準になる。

これは今に始まったことではない。16世紀フランスの文人、ミシェル・ド・モンテーニュは、人類の歴史上、人間の優劣を判断する最初の基準は「美しさ」であり、男の場合それは身長の高さだったと論じている。

「背丈が立派なことが男たちのただ一つの美しさなのだ。背が小さい場合は、額の広さやまろやかさも、目が澄んでやさしいことも、鼻のおとなしいかたちも、耳や口が小さいことも、歯の並びのよさも白さも、栗の皮の色のような褐色のひげがよく生えそろっていて濃いことも、巻き上がった髪の毛も、頭の正常な丸さも、肌の色の新鮮さも、快い顔の表情も、匂いのしないからだも、四肢の正しい釣り合いも、美男子をつくりあげはしない。」(モンテーニュ「エセー」2の17)

モンテーニュはここで、古代ギリシャの哲人アリストテレスの一節を引用している。

「小さい男はきれいではあるが美しくはない。偉大な態度のなかには偉大な精神が、大きく背の高いからだのなかには美しさがあることがわかる。」(アリストテレス「ニコマコス倫理学」4の7)

モンテーニュ自身は「私は人並みよりちょっと低い」。そして、「この欠点は醜さとともに不便さもともなう」と書き、古代ギリシャの次のような印象的な逸話を紹介している。

スパルタと戦っていたアルカディアの将軍フィロポイメンは、軍隊の先頭に立ってある宿舎に到着したが、彼を知らない宿の女主人は、彼の体格が貧弱だったために雑用を命じた。女中の手伝いをさせられている将軍を見た部下たちが「何をしているのですか」と聞くと、将軍は「私は自分の醜さの罰を受けている」と答えた。

背の高さは、美しさだけでなく、高収入や、社会的地位の高さに結びつく、という社会学的データは以前から報告されている。

背の高さだけでなく、一般に美男、美女は、人々の信頼を得やすいという社会心理学の報告もあるから、上記のことは当然の帰結に思える。

一方、背の低い人の方が頭がいい、と思う人がいるが、これは(残念ながら)事実ではない(そんなデータはない)。

確実なのは、背の高い男は、顔のよい女と同様に、性的パートナーを得やすいことだろう。

対象選択の好条件として3高(高身長、高収入、高学歴)が言われはじめたのは、1980年代のバブル期だったと記憶している。もちろん、それ以前から背が高い男がモテていたが、「3高」以降は、それが◯◯センチ以上、と具体的な数値で表されるようになった。

それと同時に、「男らしさ」といった抽象的な価値は、尊重されないだけでなく、「政治的に正しくない」ことになった。こうした状況は、非モテの低身長男たちを、いっそう追い詰めていったように感じる。

「ひがめ」かもしれないが、かつては背の低い男たちにも、一定の社会的好イメージが割り当てられていたように感じる。

ハリウッドにも、アラン・ラッドやポール・ニューマン、アル・パチーノなどの小柄な美男スターがいたし、1970年代にはウディ・アレンのような低身長で美男でない芸人も「スター」であり得た。(ウディ・アレンの出た映画で、彼が、自分より身長の高い全ての男を滅ぼそうとするものがあった)

多様性が言われるようになるのと反比例するように、映画やドラマ、アニメのヒーロー、あるいはアイドルたちの容姿は、「典型」に収斂しているように思われる。(そして、こうした通俗的イメージは、意外なほど大きな影響を実人生にあたえる)

「ショーシャンクの空に」の主人公「アンディ」は、スティーブン・キングの原作では貧相で小柄な(しかし意志の強い)銀行員だったが(小柄でなければ困難な脱獄方法だ)、映画では背がずば抜けて高いティム・ロビンスが演じた(彼の背の高さは相方のモーガン・フリーマンも190センチくらいあるために目立たないが)。

いま背が低いヒーローといえば、わが日本の佐伯泰英「酔いどれ小籐次」153センチがいる。「小籐次」の造形について佐伯は「背が高いヒーローばかりだからその逆を考えた」というようなことを言っていた。「酔いどれ小籐次」シリーズは佐伯作品の中でも随一の人気を誇るが、いまだドラマ化・映画化の話はない。

私が会った中で、私より背が低いなと思った有名人は、西部邁、浅田彰、猪瀬直樹、各氏くらいだろうか(前澤友作氏には会ったことがない)。(天皇陛下にも)

西部氏が晩年に過激な「反米」に転じたのは、アメリカで背の低さをさんざんバカにされたからだ、と、ある大学教授が真顔で言っていた。

西部氏の「反米」言説は、たしかに極端で不自然だったとしても、これは西部氏に失礼な評言だと思う。だが、背の低さが歪んだ心理を生むという考えはある。背が低い人は、その劣等感から、権力欲が強い、など。小男の大音声、なども言われる。

かつては「ナポレオン・コンプレックス」と言われたが、最近、ナポレオンは実際には背が低くなかったことが分かって言われなくなった。ヒトラーについても同じようなことが言われたが、ヒトラーも低くない。

逆に、背が高い男は、コンプレックスから自由で性格が良いだろうと思って結婚したら、すぐ破局した、という有名女性もいた。

婚活がうまくいっていない女には、「自分より背が低い人」を探してみなさい、とアドバイスしたい。収入や学歴の条件で大幅な妥協をするよりも、うまく運び、結果もよいと思うよ。

いま60歳を越えると、背の低さは逆にメリットにも思える。

負け惜しみに思われるかもしれないが、背が低い男は、背が高い男よりも、「空間が広く、空が高い」。

たとえば、LCCの狭い座席などは、小柄な方が快適に使え、安上がりだ。同じ70平方メートルのマンションも、大柄な人にとってより、小柄な人にとっての方が「広い」。これは、家賃に換算して、月に◯◯◯円分得だと計算できるメリットのはずだ。(同居人がいれば、その人もメリットを享受する。からだデカイ奴は邪魔だぞ)

カロリーの必要摂取量も、ほぼ身長に比例するので、背の高い人より少ない摂取量で済む。これも、食費にして月に◯◯◯円分低い、と数値化できるメリットだ。(念のために言えば、これは「必要」摂取量であるから、それ以上摂取すれば、身長にかかわらず肥満する)

こころみに、60歳男性の身長別必要カロリー(1日)を計算すると、以下の通り。(計算はこのサイトによる→ https://joyfit.jp/aojoy/health_column/post03/)

160センチ 2058kcal

170センチ 2324kcal

180センチ 2605kcal

190センチ 2903Kcal

単位カロリー当たりの価格が同じなら、190センチの男の食費は、160センチの男の約1.4倍だ。160センチの男が1カ月3万円だとすれば、190センチの男は4万円を超えざるをえない。だいたい10センチごとに1割強増える。高身長男は、空間を圧迫する上に、よく食らい、家計も圧迫する動物ということだ。 

(年取ってから、背が高い人は何か得することあるんですかね。)

くわえて、背が低かったおかげで女にモテず、子供も持てなかったので、それにまつわる人生経費がそっくり節約でき、特別なことはしなくてもある程度の生活ができている。これは悲しい人生の余得とでもいうべきだろう。





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