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虚栄と性欲 文化人業界の老醜

私はマスコミに長くいたので、世間で「先生」と呼ばれるような有名文化人と多く付き合った。

人並み外れた頭の良さ、生まれつきの特異な能力、培った知識や教養で、尊敬を集め、社会を啓発する。

彼らに活躍の場を与え、その地位や生活を支えるのがいわば私の仕事だった。才能がのびのびと発揮されているのを見るのは気持ちいいし、やりがいを感じたものだった。

しかし、近くにいると、その「裏」の顔も見えてしまう。それで戸惑わされ、時には失望させられることもあった。

女の「先生」の場合は、その「虚栄心」の強さに驚かされることが多かった。

少し世間に知られるようになると、才能が認められるだけでは満足せず、配偶者がセレブだとか、「年の割には美人」と見られるとか、子供が有名校在籍とか、要するに「社会的成功と女の幸せ」をつかんだと人に思わせ、それを世間に見せびらかそうとする。

成功して幸福になるのは結構なのだが、才能以外のところで自慢が多くなると、こちらもげんなりしてくる。彼女の家族も被害者で、いつしか彼女の成功をかざる付属品のように扱われるようになる。

最近は、単に成功しているだけでなく、実は子供のころに虐待にあったとか、若いときはウツに苦しんだ、それを乗り越えて〜みたいなライフストーリーを売り込もうとするのもいる。そのぐらいの苦労はみんなしているさ、と思うのだが、本人はそれで社会を啓発しているつもりなのである。

具体的な名前を挙げると差し障りがあるのでやめるが、まあ海外で言うとパリス・ヒルトンみたいなやつ。あそこまで行くと虚栄自体が売り物みたいになるが、ミニ・ヒルトンは日本にも多い。

男の「先生」の場合は、「性欲」だ。しかも、老人になっても、その性欲が衰えないのである。

もともと女と遊んできたプレイボーイは、老人になって女を追いかけても違和感ない。しかしここでは、10代20代を勉強だけしてきたようなのが、有名になって、突然女にモテるようになり、狂うのである。

ふだん、大学の教壇やNHK教養講座で威厳ある姿を見せる男が、親しい編集者に女の手配を頼んだり、不倫旅行のアレンジを求めたりする。

そして、世の中には、仮にその男がブサメンのちんちくりんであっても、「頭のいい文化人」なら付き合いたい、という女が結構いるのである。アインシュタインもすごい女にモテたという話があったな。

かくして老「先生」は、もう研究や研鑽や教育はそっちのけで、バイアグラをガブ飲みしながら複数の愛人のあいだを哀れな蚊のように行き交う。

こうして「文化人」の裏の顔を見てきた私は、もう彼らに感心することはなくなった。本や作品という形になったものは尊敬するが、本人と付き合いたいとは思わない。

経験から学んだことは、人間には品格が必要であるということ、そしてそれは、世間で「文化人」と呼ばれる人が持ち合わせているとは限らないことだ。品格は、勉学や才能から生まれるのではなく、日々の生活態度から生まれる。

それを教えてくれた彼らは、少なくとも私には反面教師であった。


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