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左翼の先生 右翼の先生

佐藤優の『私のマルクス』を読んでいたら、高校の先生に「資本論」の手ほどきを受けるところがある。

佐藤優とは同世代で、私もマルクスの剰余価値説などは高校の日教組の先生から学んだ。世代共通の体験かもしれない。

当時は1970年代で、全共闘世代の若い先生が教壇に立っていた。教える情熱もあったのである。

ただ、佐藤優は浦和高校という進学校だが、私は底辺に近い高校だった。

私に資本論の基礎を教えてくれたのは世界史のNという人だ。佐藤優の先生はかなり教条主義的だが、N先生はわりに柔軟だった。ロックの話題でも盛り上がれる人だった。

一方、Sという日本史の右翼の先生もいた。世代は、N先生より少し上だったかもしれない。N先生がラフな格好だったのに対し、いつも堅苦しいスーツ姿だった。

当時は、学校行事での君が代・日の丸に日教組の先生が大反対していたが、この先生は数少ない君が代賛成派で、孤立していた。

私はこのS先生も好きだった。この先生も情熱的だったし、少数派でも自説を通すのは偉いと思っていた。

多数派の日教組の先生は、S先生の悪口を言っていたが、S先生は、他の先生の悪口を一切言わなかった。そういうところも尊敬できた。

ただ、S先生の授業で覚えていることはあまりない。

西郷隆盛と勝海舟の「無血開城」の話で、

「西郷隆盛は、風土病でキンタマが肥大していた。一方の勝海舟は、犬に噛まれてキンタマが一つしかなかった。巨大キンタマと、片キンが対決だあ」

とやたら大声張り上げて(たぶん面白い話だと思ったのだろう)、生徒をドン引きさせていたことを覚えている。

N先生とS先生という、磁石の両極みたいな両先生は、いったい職員室でどんな会話をしてるだろう、と考えることがあった。

当時でも、授業で、指導要領に載っている以外のことを教えるのはタブーだった。N先生もS先生も、その意味では政治的リスクをおかしていた。学校で出世したければ、生徒に余計な話はしないだろう。

しかし、こうした先生には思想的な情熱があったし、それを裏付ける知性もあった。高校生のこちらも、それなりに読書体験があるから、先生の言うことを鵜呑みにはしない。生徒を大人扱いしてくれているようで嬉しかった。

ああいう「偏向」先生が懐かしい。不思議に、よく思い出し、いまどうしてるかと考えるのは、そういう先生ばかりだ。


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