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ああややこしい、2つの「毎日新聞」

研究者にとっては常識だろうが、私のような素人は戸惑う。

「毎日新聞」が2つあることである。

今朝も「集英社版日本の歴史18日清・日露戦争」(海野福寿)を読んでいて、次の一節に当たった。

「(1897年設立の労働組合期成会に)印刷会社秀英舎社長佐久間貞一、衆議院副議長・毎日新聞社社長島田三郎らの開明的知識人も援助に加わった。」(p265)

この記述自体に間違いはないが、これを読めば、読者は、島田が「いまある毎日新聞」の社長だったと思うだろう。しかし、そうではない。

この島田三郎が社長を務めた「毎日新聞」は、いまの「毎日新聞」と関係ない。元は「横浜毎日新聞」だが、のちに「東京横浜毎日新聞」「毎日新聞」「東京毎日新聞」と名を変えた新聞のことだ(社名も東京横浜毎日新聞社から毎日新聞社に変わる)。

いまの毎日新聞の元は「大阪毎日新聞」で、この「(東京横浜)毎日新聞」とは関係ないのだ。

関係ないが、名前だけでない、混同されがちな事情がある。

1 横浜毎日新聞は、横浜で1871年(明治3)に発刊された、日本で最古の日刊新聞だ。一方、いまの毎日新聞も「日本最古」を名乗ることがあるので紛らわしい。大阪毎日新聞が「東京で」最古の東京日日新聞(1872年創刊 来年150周年)を吸収し、かつ横浜毎日新聞が消滅したので、いまの毎日新聞は「現存する」最古の日刊新聞を名乗りうるのみ。

*さらに厳密には、横浜で英字の日刊新聞Japan Timesはそれ以前から存在し、(休刊期間はあるが)今もあるので、ジャパンタイムスが「日本の現存する最古の日刊新聞」、いまの毎日新聞は「現存する最古の日本語日刊新聞」が正しい。

2 大阪毎日新聞が、東京進出の時、名前の似ている「東京毎日新聞」を買収しようとした。これも理解をややこしくする一因。しかし、折り合わず、結局「東京日日新聞」を買収する。(もしこの交渉がうまくいっていれば、名前をめぐるややこしさが一挙に解消したのだが)

横浜毎日新聞系列の「東京毎日新聞」は、報知新聞の系列紙となった後、1940年に「帝都日日新聞」に吸収されて消滅する。*そして帝都日日新聞は、戦後「やまと新聞」と名を変え、2013年に紙での発行を停止したが、現在もwebニュースで続いている。

東京日日新聞と大阪毎日新聞が統合して「毎日新聞」となったのは1943年。というわけで、それ以前の「毎日新聞」「東京毎日新聞」は、いまの毎日新聞とは別系統なのである。

特に明治期は、横浜毎日新聞系統の「毎日新聞」「東京毎日新聞」は勢力があり、歴史書によく出てくる。重要なのは、上記の「集英社版日本の歴史」の記述でわかる通り、社会主義寄りの進歩的な新聞であったことだ。

明治期の「(東京横浜)毎日新聞」には、上の島田三郎だけでなく、「日本の下層社会」の横田源之助、社会主義作家の木下尚江、尾崎士郎、大逆事件で処刑された唯一の女性(で、実際に天皇爆殺計画に関わった)菅野スガなどが在籍した。(尾崎士郎の兄は「いまの毎日新聞」に在籍したのでますますややこしい)

一方、いまの「毎日新聞」の前身である「東京日日新聞」は明治の代表的御用新聞だし、「大阪毎日新聞」は(三菱)財閥・経済界寄りの保守的新聞だった。だから、同じ「毎日新聞」でも思想が全然ちがうのである。

しかし、「毎日新聞」は現在、「小朝日」と言われるように左寄りの論調なので、昔の(別系統の)「毎日新聞」のDNAが間違えて混入したようになっている。これも2つの「毎日新聞」が混同されがちな一因だ。

さらに言えば、「(東京横浜)毎日新聞」を吸収したのちの「やまと新聞」はバリバリの右翼新聞だから、こちらの「本家本元のDNA」は、100年以上たって180度変わったことになる。


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