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「殺すか殺されるか」に追い込まれると、人はどう行動するか 「白兵戦」の実際

毎日、ウクライナ情勢のニュースを見ていると、昔見た戦記物の小説やドラマを思い出したりする。

現代戦のニュースでは、ミサイルが飛び交うような光景しか映さない。

しかし、いわゆる白兵戦、close combat、兵士どうしが刀剣で殺し合う場面が、まったくなくなったわけではないだろう。

映画やドラマなどでは、そういう場面も描かれるが、実際とはかなり違っていると言われる。


私は若い頃、剣道を習っていた。

師範から、こんな話を聞いたことがある。

「本当の武士の戦いは、剣道の試合のようには、いかないんだ」

「剣道の試合のように、最初から近くで相対することはない。持っているのは真剣だから、お互い、それが怖くて、すごく距離をとって向かい合う」

「そして、遠くで向かい合ったまま、ヤーとかトリャとか、気合を叫び合う。何十分も、ときには何時間も」

「そのうち、どちらかが疲れ始めて、緊張の糸が切れる。その瞬間を認めて、もう一人が素早く近づき、バッサリ斬る。それで勝負がつく」

へー、そういうものかと思った。


時代劇の殺陣のように、かっこよく切り結ぶようにはいかないだろう、とは思っていた。

日本は比較的平和な国で、本土深くまで侵略されたことはないが、その代わりに帯刀した武士が跋扈し、戦国時代までは庶民も「いくさ」「果たし合い」の現場を見ることができた。

前の記事でも紹介したが、その見聞録を研究した民俗学者の千葉徳爾は、戦いの実際を『たたかいの原像』という本に書いている。

その本から、ドラマでは描かれない、「殺し合い」の実際を、いくつか書いておきたい。


1 最初は腕を狙う


1対1の戦いでは、お互い、相手の、刀を持った方の腕を切ろうとした。

剣道で言えば、「面」や「胴」よりも、「小手」を最初に狙う。

これは、自然な思考だろう。面や胴よりも近いから、切りやすい。相手がそれで刀を振るえなくなれば勝利できる。

腕を切り落とせればいちばんいい。実際、そのくらいの深傷をお互いが狙う。


2 傷はたくさん負う


ドラマの殺陣では、必殺の一撃で決着がつくことが多いが、実際はそんなことはない。

腕から始まり、お互いが少しずつ相手の体を切っていく。

それを防ごうとするから、防禦創もつく。

最終的には、2、3箇所では済まず、10箇所近い傷を受けることになる。

腕も足もほとんどちぎれたような凄絶な状態で最期を迎えることもある。


3 負けそうになったら決死の反撃


深傷を負い、自分の方が負けそうだとわかると、人は死を覚悟する。

すると人は、「自分は死ぬが、せめて相手を道連れにしよう」と、決死の反撃に出る。

それで、相打ちとなり、双方が死ぬこともある。


仇討ちでは、女が剣を振るうこともある。その行動は、男と変わらなかったという。

千葉はこう書いている。

すでに双方自刃を振るって相対するというところまで事態が進展してしまい、その闘争場面から離脱が不可能な時点にさしかかってしまえば、生か死か二つに一つの途しか残されていないから、人間的思考から野獣としての殺すか殺されるかの態度に急変するしかない。そこに露呈するたたかいのありかたには、実はきわめて本質的なヒト科生物の姿があらわれる

千葉徳爾『たたかいの原像 民俗としての武士道』p50

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