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「ミスコン」と「校則」は何度でも蘇る

長く生きていると同じ「ニュース」に何度も出会う。

「ミスコン廃止します」と「こんな校則必要か」はその双璧だ。


ミスコン廃止「ジェンダーレス時代の流れに合わない」(j-cast)

ブラック校則がまかり通る(プレジデント)


私が物心ついた頃から、この2つの話題はあった。

私の記憶だけで書くから、細部は違うかもしれないがーー

ミスコンについては、1970年代の初めに批判されて止めるところが多かったが、80年代になって(女子大生ブームなどに伴って)復活していった。

校則についても、学生反乱の1960年代から70年代につれて社会的問題になったが、新設校が増えた80年代に管理強化されてまた問題になった。

その後も、折に触れてこの2つは問題になる。

これは私が覚えている範囲だから、私が生まれる前からの歴史もあるだろう。(もしかしたら戦前からループしている)

要するに、問題化→廃止→問題が忘れられる→復活 というサイクルを何度も繰り返している。

「ウーマンリブ」「男女差別」「管理教育」が、「フェミニズム」「ジェンダー」「ブラック校則」などへ、用語がアップデートされるだけである。

つまり、「ミスコン」「校則」の問題は、解決しないのである。

または、結局のところ、最終解決させるほどの大問題ではない、ということかもしれない。

これらの問題を、私がどう考えていようと、確実に言えることがある。

ミスコンは復活し、校則はなくならない。


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