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みんなで「戦争に負けたみじめさ」を味わう日本の8月

8月になるたび、

「やっぱり、戦争に負けるとみじめだなあ」

と思う。

原爆落とされた記憶を「忘れるな」という。

戦争に負けた日を「忘れるな」という。

お前は負け犬だ、それを忘れるんじゃねえぞ、と国を挙げて自らに確認するのが日本の8月だ。

なんでそこまで自虐的になれるのか。

そもそも1960年代に生まれた俺は、1945年に終わった戦争に何の責任もない。

子供の頃は、その一方で、戦争の責任者である昭和天皇が居座っているのが納得できなかったし、戦犯企業ナンバー1だった朝日新聞や毎日新聞が自分たちの責任そっちのけで「戦争への反省」を口にする欺瞞に今でもムカつく。

「戦勝記念日」がある国がうらやましい。

ロシアでこのあいだ(5月9日、1945年の対独戦勝利の日)おこなわれたのが話題になったが、戦勝記念日はいろんな国にある。「独立記念日」もほぼ同じ意味をもつ。(たいがい戦勝記念と共に慰霊の意味をもつ)

タイに行くと、旅行者は皆バンコクの「戦勝記念塔」を見る。目立つところにあるからそれを見ないわけにいかない。あれは1941年、タイ軍がフランス植民地軍に勝った記念だ。

隣のカンボジアのシンボルはアンコールワットだが、あそこの地名は「シェムリアップ」だ。その意味は「タイ(シャム)が負けた場所」つまり、17世紀にクメール軍がタイのアユタヤ軍を破ったことを記念した命名だ。

どんな国も、勝ったり負けたりしているが、勝った記憶を大切にするのが普通だ。多くの国が、「戦勝の記憶」を国の中心に抱いている。それが、愛国心の礎になる。

先日、イギリスのエリザベス女王の在位70年が祝われたが、あれが盛り上がるのも、イギリスが戦争に勝っているからで、かつて女王のもとで世界の覇者となった記憶があるからであろう。

一方、戦争に負けた王族を抱いたままの日本はーーいまの皇族に責任がないとはいえーーああいう盛り上がりは経験できない。

老後、夫婦で世界旅行をしている人に、旅行先の選択基準を聞いたところ、

「戦争に勝った国に行く。負けた国には行かない」

と言っていた。別に右翼とか、好戦的な人というわけではない。

「なんとなくかわいそうで・・旅行が楽しめない」

と言う。

それで言うなら、私がいまだに沖縄に行かないのも、その理由だ。

琉球の歴史は、中国と日本(薩摩藩)の両方から搾取されて、かわいそうすぎる。強力な武力がなかったからだろう。

琉球の王族で「自分は戦争に負けすぎるから王を辞める」と言った王様がいたが、偉い人だと思う。

そして太平洋戦争ではあの悲劇である。今は米軍基地がある。どこを見ても戦争に負けた歴史と結びついているようで、重ね重ねかわいそうすぎる。かわいそうすぎるから私は多分一生行かない。

日本は、明治天皇のもと、日清、日露の勝利を味わった。日清、日露の戦勝記念日を復活させろ、という声が時々上がるが、もっともなことだと思う。

日清戦争については、圧倒的な勝利で下関条約が結ばれた(1895、明治28年)4月17日が戦勝記念日にふさわしいだろうし、日露戦争については、世界史に燦然と輝く日本海海戦勝利の日(1905、明治38年)5月27日が戦勝記念日(海軍記念日)と正式に制定されていた。

だけど、それについては祝わせてもらえない。それを復活させることには左翼や朝日新聞が反対する。それなら、左翼と朝日新聞は、世界中で、各国の戦勝記念物や戦勝記念日を破壊して回ればいい。

「敗戦」「敗北」「被爆」しか記念しないから、日本に愛国心が育つはずがない。

戦勝国は、栄光の思い出と結びつくから、軍隊に肯定的だ。日本は、戦争に負けたから、憲法9条にしがみつく。それ自体がみじめだと思わないのだろうか。

プーチンなんかも、日本の8月を見て、「やっぱり戦争に負けるとダメだねえ。みじめで見てらんねえ」とか思っている。だからウクライナ戦争でも何でも負けるわけにいかない、と思いを新たにしているだろう。

戦勝の記憶を抱くのが普通の国だが、日本は敗戦の記憶に溺れ、自己憐憫にふける。それが世界平和に結びつくと、アレな人にしか分からないエクストリーム論理で思っている。

ジョン・ダワーの本ではないが、「敗北を抱きしめる」象徴的行為を繰り返すのが、日本の8月だ。私は、その行為に加わりたくない。

その象徴的行為の一方で、戦犯企業の朝日新聞が、「教育」と称して高校生を「兵隊」のように使い、野球で戦わせる「戦争ごっこ」を主宰する。もともと戦争を煽るのは得意な会社が「これで盛り上がれ」というわけだ。代償満足の提供か。ああ嫌だ。

本来はバカンスで楽しいはずの8月だが、日本人として不愉快だから早く終わってほしい。




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