江田五月ーー菅直人に敗れて天下を取り損ねた昔の「左」のホープ

江田五月が80歳で亡くなったそうだ。

私は高校生時代に江田の「出発のためのメモランダム」を読んで影響を受けた。影響を受けた、というより、かっこいいヤツだなあ、と思った。

社会党書記長の江田三郎の息子。東大教養学部で60年安保闘争のリーダーとなり退学処分。のちに復学して司法試験に合格し、裁判官を経て、父親の死後、政治家になる。

「出発のためのメモランダム」は、政治家転身の頃に出した本だが、東大生の頃の、笑顔で警察に連行される写真が口絵に載っていた。それがカッコよかったのである。

その後、社民連の代表となる。その時期の社民連ナンバー2が、菅直人だった。

自民党とともに社会党が失墜する中、この二人は次の「左」を担う同志であり、共に新世代リーダーと目された。

そして、少なくとも細川連立政権(1993〜94)の頃までは、江田五月がナンバー1、菅直人はナンバー2だった。細川内閣では江田だけが入閣(科学技術庁長官)した。年齢も江田の方が5歳ほど上だ。

しかし、この序列が90年代を通じて逆転していく。

いつしか、菅直人が「左」のナンバー1になり、江田五月は霞んでいく。

菅直人はついに総理大臣に上り詰める。

一方、江田五月の参議院議長という職は、いかにも「残念賞」的な名誉職だった。

なぜ二人の序列は逆転したのか。それについては内藤国夫の「江田五月:繰り返された誤算ーー菅直人氏との別れ」(「男の渡る橋」所収)などの考察がある。

人の良さが災いした、エリートの弱さが出た、積極性がなかった・・・色々な言い方ができるだろう。

私も、一時は期待しただけに、なんとなく残念な政治家だったなと感じる。

菅直人を含めて、どんな弔いの言葉が聞けるか、注目したい。

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