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12月5日(月) 曇りのち雨

「何か適当に言葉を言ってみて。」
例えばそう言われたとき、頭が真っ白になってしまう。
ライブ演奏前のマイクチェックの時なんかは、特にいっそう真っ白である。
「適当に」という部分と、誰かがわたしの発言を待っているという状況がそうさせるのだと思う。
「言葉は恣意的なのです。例えば『食べる』という言葉は『〇〇』でもいいわけです。」
この〇〇に当てはめるための "適当" な、すなわちデタラメな言葉も咄嗟に言おうとするとわたしの頭はフリーズする。
適当でいいんだからなんでもいいのだけど、それがなかなか急には出てこない。
だから今日はそのような時のためにあらかじめ適当な言葉を考えようと思う。
意味のある、適当な言葉は、
「黒猫のしっぽは今日も曲がっています。」はどうだろうか。
いや、これだと意味がありすぎてどうしてこんなことを言ったのか疑問に思われるかもしれない。
いい感じに意味があって相手に何も想像させない言葉。
「一九八九年五月二五日」
これでいこう。自分の誕生日なら頭がいっぱいいっぱいでも忘れることはないだろうし。
次に意味のない言葉。言語の恣意性を説明する際なんかに例えばなしで使う言葉。
「ポックンサンパリゲ」
夫に何か適当な言葉を言ってみてとお願いしたら、5秒とかからずこの言葉が返ってきた。さすがである。
この言葉を頂くとする。

言葉には恣意性がある。恣意性とは意味と言葉に必然性な結びつきがないということ。なんでもいいということ。
例えば「まんじゅうを食べる」と言うときに「まんじゅうをポックンサンパリゲ」などと言っても良いということ。

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