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挫折本No.1 カント『純粋理性批判』

こんばんは。かきもちです。

記念すべき第1回の挫折本は、カント著 篠田英雄訳『純粋理性批判 上』(岩波書店)です。文庫サイズで、表紙に何かドイツ語らしきものが書かれています。18世紀ドイツの哲学者、イマヌエル・カントの代表作です。

目次からあとがきまで入れて371ページ。読んだ形跡のある本文は13ページぶんで、本文全体の約3.5%でした。初めに読んだ日はメモされており、「2015.3.30」。大学受験が終わって入学の準備をしている頃です。3月30日ですから書類上はまだ、ぎりぎり高校生。

思い出せば高校3年間は、学業も部活動も振るわず、日々人間存在として美しくなるクラスメイトに困惑する日々でした。自信も実績も築くことができなかった。卒業間際、なんとかして自慢できる事実を作ろうと考えた結果。それが、哲学書を読むということだったのです。とほほ。

書き込みがいっぱい

「読んだ」という事実を作りたかったためか、たくさん書き込みがされています。

「そこが問題だね」「そのとおりだよ」「それは形而上学に対する偏見のあらわれというものである。」「うーん…」「よく分からん。」「理性と悟性ってちがうの!?」

感想、主張、諦め、パニックの嵐です。(「形而上学に対する偏見」って…君は形而上学のなんなんだ…。)これらの感情や疑問を受け止める視点は、ありません。まるで独り言が本の中に漂っているような。たった一人の世界です。

もうひとりの自分

難解なものに出会ったとき、自分を客観視して、率直に指摘してくれる。安心して質問させてくれる。粘り強く答えてくれる。そんな存在がこの本の中には見当たりませんでした。

もし、「本当に分かっている?」「わからないって言っていいよ」「大丈夫だよ、ゆっくり進もう」「これはね…」と言って支えてくれる存在があったなら。私は読むのをやめずにいられたのではなかろうか。それが著者や訳者であっても、自分であっても。

思えば高校生当時、そんな存在が身の回りにもいませんでした。なんでもできる、好きなようにしていい自由さを持て余して、私は宙ぶらりんになりました。何をしても誰にも率直に指摘されることも、また他の誰かに自ら心を開くこともありませんでした。ひとりぼっちなのでした。

混乱して、どうにもできなくて、かといって誰かに助けを求めることもできませんでした。それゆえに勉強も部活動も振るわず、実績も作れなかったのです。そんな3年間の最後に、生きている証のように書かれた大量の書き込み。そこには高校時代のやるせなさが詰まっていました。

ひとりぼっちでは歩けない

分からないことだらけでひとりぼっちのとき、私はきっと混乱する。きちんと考えて前に進むことが難しくなる。そして、歩くことをやめてしまう。

そんなときはその場から少し離れて、辺りを見回してみる。協力者を見つけて、助けを求める。それが自分であっても他人であってもいい。どんな形の助けでもいい。とにかく、ひとりぼっちにならないことだ。

困惑する自分を受け止めて、理性を取り戻してくれる人を探そう。その人と話そう。そうしたらきっと、少しずつでも進んでいける。

また読み始めるか?

今読んでみると、やっぱり1行目からわかりません笑。しかし、自慢したかったからとはいえ、何か響くものがあってこの本を選んだはず。得たかったものは何なのか、諦めていたものは何なのかを探すためにも、再度読み始めようと思います。今度はひとりぼっちではなく、もう一人の自分と一緒に。誰かと一緒に。



参考:

カント著 篠田英雄訳『純粋理性批判 上』(岩波文庫)

平原卓『読まずに死ねない哲学名著50冊』(フォレスト出版)






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