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ダイニングテーブルと暗闇

23歳まで過ごした実家を思い起こすとき、真っ先に思い出すのはダイニングテーブル付近の光景だった。

そのテーブルには、大量の書類が置いてあった。
レシート、ファックス、葉書、ダイレクトメール。さまざまな種類の紙が、山のように積み重なって机を覆い隠している。下にいくほど年単位で古くなり、地層のようになっていた。テーブルの下にも紙がたくさんあって、足を伸ばすことはできない。
天板には、ほんの少しの余白しかなかったので、とくに食事のときは苦労した。お皿が置ききれないときは書類の山に置いた。それでも母は器にこだわりがある人だったので、ワンプレートではなく、いろんな種類の器を使っていた。

そのテーブルには、家族全員が座れなかった。
三人家族なのに、椅子は二脚だった。家のいたるところに物があり、三脚目が置けなかった。それでも共働きだったので家族全員でご飯を食べる習慣がなくて、実害はあまりなかった。年末年始など、全員が居合わせたときは時間差で食べたり、オーブンレンジの蓋をカウンターがわりにしてキッチンでひとりだけ立ち食いで食べたりしていた。

ダイニングの照明はずっと消えていた。
電球が切れていたのか、照明器具自体が壊れていたのか、消えていた理由はよく覚えていない。わたしたちは、小さな窓からの木漏れ日と、物の山に置いたスタンドライトと、テレビの灯りだけで生活していた。
大きな窓があったが、常に雨戸とカーテンが閉まっていた。たぶん窓の前にも物がたくさんあったからだと思う。
何度も「暗くない?電気つけられるようにしようよ」と話していたけれど、誰ひとりとして変えようと動かなかったのは、明るければ家の隅々まで目に飛び込んできて、いたたまれなくなるからだろう。
わたしたちには、あの洞穴のような暗さが必要だった。

家を埋めつくす物の持ち主は、母だった。
片付けようとすると、母が「大切な書類もある。自分で確認してシュレッダーにかけたい」「いつか使うかもしれない」と言うので、勝手に捨てることができなかった。アンティークや古道具を大切にするひとだったので、捨てるという行為への抵抗感が強かった。何度か頑張って片付けてもすぐ元に戻ってしまって心が折れた。

幼少期の写真をみると、どうやら片付いていたときもあるらしい。
片付けられなくなった理由は、ゴミ捨て場が遠いとか、母一人が家事を担っていたとか、元来の性格や趣味など多々あるとは思うが、まあ、おそらく生活のなかで色々とあったんだと思う。買い物自体が目的になってしまう「買い物依存症」がひどい時期もあった。いまも開封されないままの物がたくさんある。

わたしも母も、このような状況を恥ずべきことだと思ってきて、自室に人を呼ぶときは、大きなゴミ袋に物を詰め込んで一時的に片付けていた。動かせない物には布をかけて隠し、自室とトイレ以外の部屋は扉を閉めきった。
開かずの扉のなかのことは、ほとんど人に話したことがない。ずっと心の奥底に隠してきた。

「ダイニングテーブルは一家団欒の象徴」
大人になるにつれて、家にある机がただの机ではなく「ダイニングテーブル」と呼ばれるものだと知った。そんなの幻想だし、呪いだとわかっている。でも、全員が座れないダイニングテーブルと暗闇は、当時の家族のかたちをたしかにあらわしていたと思う。
たぶん、みんな遭難していて、諦めていた。

 *  *  *

そうして、23歳のとき、実家を出た。

母の物がわたしの身体に迫ってくることがなくなって清々とした気持ちと、あの状況を変えることができるのはもう両親しかいないんだという焦りが生まれた。
出産のとき、猛烈に将来が不安になって、入院中のベッドで片付けの極意を書きつらねて、両親に送りつけたことがある。「孫に来てもらうことを目標に、この手紙をトイレに貼って片付けてください」。少しは片付けてくれたらしいが、結局は変わらなかった。子どもはまだ一回も実家に入っていないし、パートナーも引っ越しの手伝いでたった一度だけわたしの部屋に入ったきりだ。

母のことは尊敬しているし、おもしろい人だと思う。でも一番優しくできない人。
変わってほしくて、何度もぶつかりあってきたけど、人を変えることはできない。本人だって変わりたいんだろう。ただ気力と体力がないのだと思う。それはわたしにもない。
本音をいえば、きれいな家で生きてほしい。あんな家ではいつ転倒してもおかしくない。老人の転倒は死に直結する。衛生面だって心配だ。あと物の価値は本人にしかわからないのだから、生前にちゃんと整理しておいて欲しい。親が亡くなったあとのことを考えると途方にくれる。でもいざとなったら業者もいるし、そのときに考えるしかない。

 * * *

この投稿を書きながら、母に電話をしたら、思いがけず衝撃的な報告をされた。
今度、股関節の手術をするので敷布団からベッドにするために、業者に頼んで、2階の和室の片付けをしてもらったらしい。ついでに畳をフローリングに貼り替えたそうだ。
写真を送ってもらった。民泊でもやってんの?というくらい、きれいな寝室だった。

物心ついてから、ずっと悩んで諦めてきたことが、母の老いとともに少しずつ変わりはじめている。変化の波がダイニングテーブルまで届く日がくるのか。それともこないのか。
わたしも、ずっと話せなかったことをこうして書けるようになるくらいには変わってきている。

大学一年生のとき、作・演出・舞台美術でつくった舞台。上手側のローテーブルだけレンタル品で、あとは実家の家具や小物を運んできた。今思えばフローリングで整理整頓された部屋に憧れていたんだと思う。
送られてきた写真。びっくりだよ、ほんと……。近所のドラックストアになんでも屋部門があるらしくて、頼んでみたらしい。母のようなシニア世代は対面で依頼できるのが安心できるんだなあと思った。

 ちなみに、ヘッダーの写真は実家ではなく、わたしの家のダイニングテーブルです。普段からこんな丁寧な生活なんてしてなくて、わたしもつい物を置きっぱなしにしちゃってます。

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