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「ゆとり」づくり

noteに書きたいことはたくさんあって思いつくたびにメモしているのだが、いかんせんまだ書くまでにいたらない。なぜなら、それらのトピックはこだわって書きたいものたちであり、時間をかけたいという思いがあるからだ。

時間をかけるとすれば、毎日少しずつ書き進めるか、もしくは休日にじっくりと挑むかという選択肢になる。しかし、毎日コツコツと書いたとしても、途中で軸がぶれてしまったり、書きたいことがうやむやになってきてしまったりする。だからやっぱりそういったこだわりのトピックについては、じっくりとまとまった時間をとって書きたいなという考えになる。

というわけで、けっきょく今日のような平日は、何でもないことをアウトプットするにとどまるのである。

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何でもないアウトプットとはいうが、意味がないことはない。むしろ意味は大ありだと思っていて、どんなにちっぽけな思いや考えでも、それを文字や言葉にすることから何かが始まる可能性がある。

モーニングノートなんかは、よく心に浮かんできたことを「何でも書く」スタイルで書くことがおすすめされる。これは心をスッキリさせたり、頭の中のカオスを整える目的だと言われる。いわゆる新陳代謝の排出を担う作業で、これがなくては頭も心も苦しいものだ。自由にただ書くことを通じて、脳を軽くするのである。体と一緒で、軽くなれば動きやすいものだ。

そんな状態が起点となって、また躍動が始まる。

そういう意味では、「ゆとり」を作ることが何かを生み出すには必要な要素であると言えよう。仕事ばかりしていても、画期的なアイディアは生まれづらい。たまには山に登ったり誰かと酒を飲んだりすることを通じて、知識や経験が躍動し始める。

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最近の僕は、仕事に追われている。あれもやってこれもやってという感じで、いつも気がつけば勤務時間の終了5分前だったりする。子どもたちがいる職場だからこそ時間の進み方が早いのかもわからないが、いずれにせよ何かとやることが多いのだ。

今までであれば、仕事の帰りにぽんぽんとnoteのアイディアも出てきた。だが、こうも仕事で頭がいっぱいになれば、くたびれてそれどころではない。あまりにも「ゆとり」がないからか、何かとnoteがありきたりになりがちになのだ。

ゆとりの作り方は、一考する価値がある。「時間を作る」ことは散々考えてきたが、それと「ゆとりを作る」というのは何か違う気がする。時間だけではない、別の軸も合わせて「ゆとり」となる。つまりその「軸」が僕に足りない視点となるのだが、それは一体なんだろうか。

世の中の「ゆとり」を探る。

しばし仕事から離れて梅酒を片手に、そんなことに思考をめぐらせたいものだ。

2024.01.30
書きかけの手帖

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