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暮らしに向き合う「家休(いえきゅう)」を取ってスローダウンする

現代人は働きすぎといわれていますが、経営者って生き物は植物の根のように「不安」「好奇心」がエネルギーとなってぐんぐんと仕事と役割が伸びていきます。

オンもオフもねぇ。365日、全国がフィールド。気づいたら土日の予定が埋まり続けるのは当たり前で、最近は長野アテンドで週末を楽しくゆったりと溶かしています。誰に言われずとも、自らの道を切り拓くために掴み取った選択肢なんですけどね。

ジモコロを始めて7年、会社を始めて5年。全国放浪の時間は、脳に刺激的な情報がショットガンのように撃ち込まれます。動けば動くほどにロウソクの炎は燃え上がり、58キロの身体に積んだ軽いエンジンは低くて高い音を慣らして駆動する。なにかを得て作る行為よりも、負荷をかけた身体と精神の破壊が、皮肉にも生命力を高めてる気がしてならない。ギリギリのせめぎ合いが、凡人の生存戦略なんです。

この戦略には、いまこの瞬間で捉えている常識やルールはありません。やれるだけやる。埋めたカレンダーを日々やりきる。破壊した分だけ、違う栄養素で身体と精神を補えばいい。この前提には自分自身という生命体が、約60兆個の細胞で成り立っていて一定のタイミングで入れ替わるからこそなんとか保っている話です。動的平衡!

ただし、家を軸とした暮らしは別です。

人間の手と時間(リソース)を割かなければ進みません。むしろ停滞すればするほどに腐る。家を空けた分だけ生ゴミは臭うし、町内会で設定されたゴミ捨てのチャンスはあまりにも少ない。旅先で買って持ち込んだ食べ物や雑貨、アートはもちろん、Amazonで日々届く積読本は積むことさえままならない景色が年に何度も訪れます。

家を空けた時間=旅をしてなにかを得た時間はトレードオフ。旅の反動は身体の回復や寝かした仕事の対応に時間が奪われて、暮らしの復権はあとまわしになりがち。落ち着く間も無く、次の旅に向かうべくトランクをひっくり返してあたふたと準備しています。異常な日々の生まれ変わりは、風の人としての責務なのかどうか。実際、そんなことはないんですよね。過剰な動きのボーナスを脳が成功報酬として捉えすぎているのかもしれません。

毎日、家にいるのが当たり前で、たまに旅行に行く人たちには想像できない世界が実在しているんです。自由で羨ましいとよく言われるものの、実態は他者の人生ばかりに触れて、自らの人生をおざなりにした抜けられない謎の沼に浸かっています。

この課題に7年間向き合ってきたんですが、どうにか折り合いをつけてこれました。もちろん根本的には「もっと家と暮らしに向き合いたい」という欲求が深く静かに沈んでいます。なんなんでしょうね。こんなことを言いながら、一週間ずっと家にいたら「ああ、どこかに出かけたい」「なんでもない平日に赴くままの旅を決断できることが自由そのものだ」とほざいています。

先日、尊敬してやまない文筆家・平川克美さんとPodcast収録でお話することができました。著書『21世紀の楕円幻想論』はマスターピース。生きること、経済に向き合うこと、自然と付き合うこと。それらすべてを真ん中の立ち位置で言葉を切り取ってくれていて、今後何度も読み返すことでしょう。

平川克美さんに思いきって質問しました。

「現代における思想はどんな役割を持っているんでしょうか?」

少し逡巡しながらも、返ってきた考えは…

「自分を地上につなぎとめるために思想は必要だ」

わたしが痺れるほど唸ったのは言うまでもありません。

そう在りたい…!!

大自然の暮らしと思想は、地上につなぎとめるアンカーだ

昨年7月に購入した信濃町の中古平屋と400平米の畑。リノベーションの工期は順調に遅れているが、5月中旬には目処がつきそうではあります。豪雪地帯で今年は10年に一度といわれるような大雪に見舞われて、「なんて厳しい土地なんだ…」としんしんと降り積もる雪を目の当たりにしながらわくわくしている自分がいました。

GW前後から5月末にかけて、長野県はゴールデンタイムを迎えます。鮮やかな新緑や山菜が芽吹き、この季節を待ち望んだ虫が飛び立ち、人々の営みに力強さが生まれる。25度を超えれば湖のスモールマウスバスも活性化してバス釣りシーズン到来。畑を耕してゴールデンタイムからハーベストタイムへの移行期に準備しなければなりません。つまり忙しい。そして最高な季節。

これらの新しい家の準備をしっかり向き合いたい。あってないようなもんだけど、過去の放り投げてきた暮らしを取り戻したい。そして大自然に向き合うフィジカルを駆使しながら、身体のエンジンをメンテナンスしつつ、知識として貯め込んできた知恵を自ら実践したいと思っています。

育休ならぬ家休。

家を暮らしを楽しむために労働をスローダウンし、必要以上の予定を入れない体制をつくるぞ!という宣言をします。なんやかんやイベント続きで完全な休養はとれないですし、すでに決まっている仕事はもちろんやりきるし、仕事のクオリティチェックはなかなか止められない宿命です。それでも会社をおもしろがって支えてくれる仲間が増えてきたタイミングだからこそ、権限譲渡を含めて「任せる土台づくり」を同時に目指すつもりです。

元々、自由度の高い働き方が許容されているんですが、自由の矛先を家に暮らしに向けたい。さらにこのタイミングで自分の本を書き進めなければなりません。すでに5月9日…遊びの予定をすぐに埋めてしまって、その動作を仕事に変換できる病的な身体になっているんですが、どうにか抗っていきたいなぁと。

家休期間のスローダウンが、会社にどんな影響を与えるのか。少なくとも目についたものは全部拾い上げて、現場に口出しすぎるワンマン状態からは自然と脱することができるはず。緩慢で油断のある仕事っぷりが生まれたら、それはもう会社の限界です。目の前の仕事を舐めたら、自分が舐められる。ゲタ履いて仕事してるのか。自分のために仕事してるのか。約1ヶ月の短い期間で今後について考えつつ、不確実性の高い社会をおもしろく乗り切るための心を整えたいですね。

じゃないともう、区切りが生まれないのよ。9月16日に40歳の誕生日を迎える己の人生に節目を。おれはおれのためにも生きていく。

大自然に向き合った思想が、地上(=暮らし)につなぎとめてくれるアンカーとなってくれることを願っています。

ちゃんと年をとってきたね

40歳はあえて休む。この一年の使い方が50歳までの走り方を教えてくれる。



1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!