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【note勉強会】嫌なこと言われた時

チェーンナーさんの企画のご案内、いよいよ締切が迫ってきました。
そろそろ本腰を入れて記事にしてみたいと思います。
お題は「嫌なこと言われた時」。
現在、「嫌なこと言われた時勉強会2023」マガジンには36本の投稿が収載されています。

全部は読めていませんが、いろいろな立場で考察されていて、考えさせたられることが多いです。


私は丁度1年前に第一線を退きました。
それまでは、みなさんが書かれているような体験をたくさんしてきました。
嫌なことを言われることも言うことも。

私はどちらかというと「言う方」が多かったかもしれません。
「嫌なことだろうけど、言わせてね。」とか、言った後から「しまったー、言い過ぎた!」とか。
きっとたくさんの人を傷つけてきたんだろうな。
今更ながら、「あのときはゴメンね。」と言いたい気分でいっぱいです。
でも、今回はそんな懺悔の記事ではありません。

***

私だって傷ついてきました。
悩んできました。

でも、ある年齢になってから考え方を変えました。

「嫌なこと」は絶対的な事象(事実)ではなく、自分の受け止め方の概念なんだと。
同じ場面でも人によって、ムッとする人、スルーする人、笑う人がいます。
今、私は「嫌だ!!」と感じているだけ、です。

つまり、どんなに相手が意地悪しようと、良かれと思おうと、無意識であろうと、感じ方の決定権はこっちにある。

で、この「嫌だ!!」と思うことには、自分の中に火種がある、のです。
火種があるから、「嫌だ!!」と反応するのです。

自分では気づいていなかったり、薄々気づいていたり、やっぱり・・・と思ったりするのですが、私の場合・・・・は必ず火種があります。

だから、嫌なことがあったら、その瞬間はしっかり反応するのですが、尾を引くときにはしばし考えます。
「どうして、こんなに嫌だと感じるのだろう。」

よくあるのは、自分の痛いところを突かれた時。
「そんなことない!!」と言いつつ、実はちょっと自覚している。後ろめたさを感じている。
あるいは、自分が見せまいとしている弱いところを、その人の言動に見た時。鏡で自分を見せられたようでイラッとする。
さらに、本当は羨ましいとき。
「ずるい!」という感情が嫌な感情に置き換わる。
などなど。

そんなふうに考えるようになったら、自分の本音を確認する機会になりました。
「ふーーん、私ってそんなふうに考えているんだな。」と。
そうなると、嫌なことを言った人やそのことばは中和されます。
逆に「気づかせてくれた人」になり、感謝できます。
今生では、嫌な役を引き受けてくれたんだな、ぐらいに。

それからは、あまり尾を引かなくなりました。
尾を引かないだけで、今でも、その瞬間はしっかり反応しますよ。
結構、ムッとしてます。イライラしてます。
反応しなくなったら、人生つまんないんだろうな、と思って。
あれこれ考える材料をもらったと、感情もろとも味わいます。


こんな抽象的な話を書いても、わかりにくいですかね。
今思い出す、人生の中の三大嫌なこと、書いてみます。
今でも覚えているぐらい、衝撃的なことばたち。

「あんたは人に厳しく、自分に甘い。」
  同級生から卒業式前夜に言われた。まさにそのとおり。
  今でも自戒のことばとして大切にしている。

「教え方が悪いだけなんじゃないの?」
  指導方法で悩んでいた時、ネットの向こうの見知らぬ人にチャットで言われた。カッとしてPC98のコンセントを引っこ抜いた。危うくPC壊すところだった。心臓がドキドキして止まらなかった。でも、この経験が上記の考え方の元となった。金ちゃんどうしているかな・・・。

「下品なのよ。」
  当時の上司に言われたことば。
  もう、動けなくなるくらいの呪いのことば。
  ふん、ヤクザなあなたに言われたくない。
  けど、自覚していたから傷ついたんだろうな。



主催者の皆様方です。


タイトル画像は”T&S夫婦|自分を大切にするためのお手伝い”さんにお借りしました。



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