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ホワイトデー

「お返し? あの、私、あげてないんだけど」そんな反応が返ってくるなんて想像もしてなかったのだろう。佐々木は固まってしまった。突き出された手には、ラッピングされた箱。それは私がプレゼントしていない、バレンタインデーのお返し。

「で、でもさ。英夫が見たっていうんだ。朝、涼川さんが僕の席で何かしてたっぽいのを」
 こっそり入れるために少しだけ早く登校したんだけど、ダメだったか。でも見られていたこと自体は問題じゃない。一体なぜ、お返しの相手が私なのか、それが疑問だった。
「うーん、私が入れたのは間違いないんだけど。箱の中に名前とか手紙とかなかったの?」
「うん、何もなかった。だから」
 ややこしいことになってしまった。これは説明が必要だろう。本当の渡し主の顔を思い出すと、深いため息が出た。

「それは珠美――杉野珠美から頼まれて入れたんだよね。去年一緒のクラスにいたの覚えてるでしょう」
 私達三人が同じクラスだったのは、高校一年生の時。次の年のクラス替えで珠美だけが異なるクラスになった。違うクラスの教室に入るところを見られたくなかったんだろう。珠美にお願いされて、私が代理で入れた。

「ええ! 杉野さんが!」
 彼も困っている。お返しを渡そうとした相手は、送り主ではなかったのだ。それに、もし私が入れるところを誰かに見られてなかったら、どうなっていたんだろうか。彼は無関係の人にお返しをして、赤っ恥をかくところだったのではないか。それを考えると彼が不憫で仕方がなかったが、私は更なる追い打ちを掛けねばならなかった。

「うん。っていうか知らないかもしれないけど、珠美はもう転校しちゃったんだよね。二月末に」
 名前を入れなかった理由を想像する。好意を伝えたところで会えなくなってしまうのだから、珠美は名前を書かなかったんだろうか。そうなんだとしたら、その気持ちは少しだけわかる気がする。

「えー!」
 間違った相手に渡そうとした挙句に、本来渡すべき相手が既にいない。さすがに佐々木には同情するしかない。
「で、それ、どうするの?」
 珠美の引っ越し先は知っている。頼まれれば、住所を教えてもいい。
「うーん、杉野さんはもういないんじゃ渡せないしなあ」
 そういうと佐々木は改めて箱を私に突き出した。
「俺が持って帰っても仕方がないし、君に上げるつもりだったからさ。もらっといてよ。要らなかったら捨ててもいいし」
「――わかった、ありがとう」
 私が受け取ると、彼はそそくさと去っていった。私は受け取った箱を鞄に入れると、スマホを取り出す。珠美には訊きたいことが山ほどある。電話をかけると、呼び出し音が数回鳴ってから声が聞こえた。

「ちょっと珠美!」反射的に大きな声が出た。
「え!なに? どうしたの?」
「佐々木に渡したバレンタインチョコさ、名前書いてなかったの?」
 忘れていたのだろうか、一瞬沈黙があった。
「あ、バレた。ごめーん」
「佐々木がさ、勘違いして私にお返し持ってきちゃったよ」
「えー!まじで! あはははは」電話の向こうでゲラゲラ笑っている。あははじゃないが。

「おーい、珠美ー」
「ごめんごめん。よかったじゃん。私の計画は上手くいったってことだね」
「は? なにそれ」訊き返した。計画? 言っている意味がわからない。
「私の計画通りに、桜にチョコが返ってきたってこと」
 理解が及ばず、言葉が出ない。
「だって、ワザと書かなかったんだもん、名前」
「え、なんで?」
「私にはわかってたんだ。桜は佐々木のこと好きだったんでしょう?」
「え! う、うん」
 佐々木の机に入れるのは、正直なところ嫌だった。でも転校するし、最後だからって頼まれると、さすがに断れなかった。
「あーよかった。こんなに上手くいくとはねえ」まだ笑っている。
「っていうかさ。桜に返ってきたってことは、向こうもまんざらでもないんじゃない?」
「そう、なのかな」困惑するばかりで、そこまで頭が回ってなかった。
「そうそう。じゃああとは、がんばって。またねー」通話が切れる。お節介なやつめ。転校するからって、好き放題しおって。

 貰ったお返しを鞄から取り出して眺める。でも、もし仮にそうなんだとしたら、このままではいけない気がする。

 ひと月遅いバレンタインデーのチョコを買って帰ると、私は決めた。
 彼がくれたチョコが、本物のお返しになってくれると願いを込めて。

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