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読書録#4「クオリアはどこからくるのか?」土谷尚嗣

クオリアって結局なんなん?

この疑問は学部生の頃に茂木さん (@kenichiromogi ) の「脳と仮想」(Amazonで検索したらちょうど10年前に購入していた。)を読んでからずっとあって、保留していたのだが、最近改めて「生命とは何か?」という大きな問題を考える時間が増え、主観体験やクオリアをちゃんと考えねばという機運が高まっている。機運が高まる中、土谷さん( @NaoTsuchiya )がクオリアに関する新しい本を出した。(土谷さんは修士課程の学生の時にCiNetで開催のカンファレンスで見かけた気がする)クオリア周辺の最近の動向がわかると思ってさっそく読み始めた。

クオリア研究の最先端まで丁寧なエスコート

意識やクオリアに興味のある中高生に向けて書いたということで、全体を通して読みやすい。特に各章の最初でこの本に通底する主題の再確認と主題における各章の位置づけを復習してくれるので、読者は迷子にならずに著者と一緒に進んでいける工夫がなされている。まえがきに書かれているが著者の一番言いたいことは最終章に詰められている。最終章ではクオリア研究の最先端の話が書かれており、そこに至るまでの最短経路を丁寧に駆け抜ける。この本の目的に対して無駄のない構成になっている。あと全ての章に著者の熱量が込められているので読んでいて気持ちがよい。

見えてないのに無意識に見えている盲視

クオリア研究の最先端に至るまでの道のりの中で盲視研究が面白い。ちなみに

盲視とは、第一次視覚野(primary visual cortex: V1)が損傷した患者において、現象的な視覚意識がない(phenomenal blindness)にもかかわらず見られる、視覚誘導性の自発的な反応のことを指す。

https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E7%9B%B2%E8%A6%96

意識に切り込む現象として、心理物理における錯覚の利用は知っていたのだけど、盲視はよりわかりやすい例だと感じた。主観報告以外の盲視の計測方法として、選択肢の確信度をつまりメタ認知を利用する方法は、メタ認知の定義および、意識研究への応用の仕方は知らなかったので興味深い。

意識と相関する神経活動(Neural Correlates of Consciousness)が意識を科学のまな板に乗せる

盲視などの意識に切り込む現象を定量化するにはどうしたらいいだろうか?クリストフ・コッホ(Christof Koch)とフランシス・クリック(Francis Crick)は1990年台に意識を科学のまな板に乗せるために、「意識は神経細胞の活動に還元できる」という信念のもと、意識と相関する神経活動(Neural Correlates of Consciousness)を探す研究を始めた。意識と相関する神経活動のわかりやすい例はサルの両眼視野闘争であり、意識にのぼる像に応じて高次視覚野では活性化する部位が変化する。一方でV1などの初期視覚野では活性化する部位は変化しない。意識と相関する神経活動により意識の定量化の道が切り開かれた。

意識と注意

両眼視野闘争は別の見方をすると、同じ視覚刺激であっても意識にのぼる像は右目と左目で切り替わるということだ。では、どちらの像が意識にのぼるかはどのように決まっているのだろうか?ここでは日常生活でもよく使う”注意”について考える。”注意”の機能は「ある特定のものにスポットライトを当てる」であり、特定のもの(意識にのぼる像)を強調すると同時にそれ以外のものを減衰させる。”意識”と”注意”という2つの概念の因果関係を整理する際によくやるのが、包含関係を明らかにする、すなわちそれぞれがそれぞれの必要十分条件かを確認することだ。”意識”は”注意”の必要条件でないことはこれまでの研究で示されたようだ。

情報構造(巨大神経ネットワークのダイナミクスのスナップショット)とクオリア構造のマッピングを目指す

方向つきのネットワーク構造からビッグ・ファイΦを求める。そこからサブシステムの「コンプレックス」が決まり、「コンプレックス」内の「メカニズム」が生み出す統合情報量スモール・ファイφの総体を情報構造と定義する。基本的には情報構造は、ネットワークのノードとエッジが定義されたら一意に決まるはず。純粋理論研究の場合は、どのようなネットワーク構造を持つとどんな情報構造が生まれるかを整理する。実験をする場合は脳計測データからネットワークを記述して統合情報量を求める感じになるのだろう。どういう情報構造がどういうクオリアに対応するかはこれから。

情報構造

理論から得られるビッグ・ファイ、「コンプレックス」「メカニズム」、スモール・ファイの生物学的な説明を付けに行くのが情報構造を提唱する狙いという理解。

ゼブラフィッシュなどは全脳をライブイメージングできるようになってきたから、情報構造取り出せるのかもしれない。ヒトは細胞レベルでの全脳イメージングはまだ難しいから、部分的な観測をせざるおえないと思うが、計測外の神経活動は無視してしまうと、真のヒト意識の情報構造は取り出せないのではないかと思う。顔クオリアやモノの動きクオリアに対応する部位をローカルに観測することで得られる統合情報量と、全脳で観測することで得られる統合情報量の関係性は理論側で記述できるのだろうか?

アリの群れにはビッグ・ファイ出ないと言ってたけど、本当だろうか?アリの群れトラッキングしてその時系列データを解析したら、ビッグ・ファイ出ないかな?アリは群知能としてよくできてると思うのでここは直感に反する気がする。

クオリア構造

要はクオリアの心理尺度を定義したいということなのだろう。尺度構成の知見は使えないのか?名義尺度、順序尺度、間隔尺度、比率尺度で整理できないか。少し飛躍するけど、尺度構成は数覚とかに影響受けるはず。だとすれば、クオリア構造は摩訶不思議なハッシュ関数的な手に負えないものではなく、数直線や3次元空間のアナロジーが使われやすい?

クオリアのノックアウト実験をやっていくことで、その背後の構造を再構成するということ。作業量は大変だけど実現可能のように感じる。ただ、各実験でどうやって特定のクオリアを切り取るかは難しい問題。

「米田の補題」は勉強不足のためよくわかっていない。圏論を勉強すれば同じ景色が見えるだろうか?

生命とは何か?と意識はどうつながるのか?

意識メーターが統合情報理論で作ることが原理的にはできたとしても、意識を宿す人工物の設計論に直接使えるかはわからない。

Open-ended な進化をする人工生命が仮に誕生して、彼らと交流する場合に、統合情報理論の意味での意識があると判定されることは何を意味するのか?意識を持つ他者と交流するとはどういうことなのか?

クオリア構造が仮に明らかになった時に逆にそれを利用して、情報構造を改変できるのか?人工生命は情報構造を人為的にデザインしてクオリア構造が創発するのが一つのゴール。通常、仮装生命体のクオリア構造は人間と全く違うように創発するけど、人間と相同な構造という制約を与えると人間とも交流しやすくなるとかはありそう。


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