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知ってた?パレスチナ系チリ人の話

神戸の鯉川筋が日本人移民がブラジルへ船出した歴史の道であることはあまり知られていないかもしれません。人はいつの時代も越境する存在。どの国も同じです。今回ご紹介するのは雑誌This Week in Palestineよりパレスチナ系チリ人の方が書いた記事。南米と中東、遠く離れた全然関係なさそうな2つの地域の意外な繋がりとは?

Palestinians in Chile by Diego Khamis
チリのパレスチナ人たち byディエゴ・ハミース

チリのパレスチナ人コミュニティは1900万人ほどのチリ総人口のうちおよそ50万人を占めているそうで、子ども世代を含めるともっと多いと見積もられているのだとか。
ほとんどの移民はベツレヘム(キリストが生まれた所で昔っからの巡礼・観光地)周辺の出身で、エルサレムやラマッラー(商業都市)といった都市部やタウベ(地ビールの名産地)のような村がそれに続きます。19世紀末から徐々に始まった移住当初は露店を商う人が多かったものの、階段を上るように産業界でのシェアを占めるようになり、元々農業国だったチリの工業化をリードしていく存在に。特に織物業での活躍が大きかったそうです。ほかにもパレスチナ出身の移民は銀行業や小売り業などに従事していました。1970-73年に大統領を務めたサルバドール・アレンデ氏の下で国有化された複数の産業は元々ベツレヘムとベイト・ジャーラ(ベツレヘム近郊の町)から来た家族のファミリービジネスでした。

移住のピークは、イスラエル建国によってほとんどの地元住民がパレスチナに住み続けられなくなった1948年以降(詳細は過去の記事を参照)で、その後1967年の再占領後にも比べれば小規模ながら移住の波が来ます。

そんななかパレスチナ出身者たちはチリの公務にも携わっていて、1940年代からかなりの数のパレスチナ人が行政で働いています。内閣にも加わっているとか。現在の女性問題省の大臣もかつて移住してきたパレスチナ系の子孫です。芸術やスポーツ界でもパレスチナ系の人たちが活躍し、チリ初のオリンピックの金メダリストニコラス・マス―というテニスプレーヤー。2004年のアテネ五輪でシングルスとダブルス2つの金メダルを獲得しました。ちなみに調べてみると興味深かったのが彼の出自。元記事の表現は

元々ベイト・ジャーラ出身のチリ人初の金メダリスト

です。正しい情報と言い回しですが、付け加える情報もあります。彼の父方はパレスチナやレバノンのアラブの家系ですが、母方はハンガリーのユダヤの家系だそうです。ベイト・ジャーラでご両親が暮らし、その後チリへ渡ったときに彼が生まれたんですね。そういうことに触れている彼自身のインタビューなどが見つからなかったのでどういう帰属意識をお持ちかはわかりませんでしたが、パレスチナの地でかつては自然な形だったアラブとユダヤの結婚があって、チリで生まれて活躍している人がいるのは面白いなぁと思います。

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写真:2004年のアテネ五輪で金メダルを取ったときのニコラス選手

さて、チリでのパレスチナ系住民の存在感の話に戻りましょう。リチャード・ラゴス大統領はかつて「町に必要なのは聖職者・警察・そしてパレスチナ人だ」と発言したといい、その言い回しはチリでちょっとした定番になりました。
移民のコミュニティもかなり歴史があるので、長いところでは100年以上続く老舗の互助団体もあるそう。学校やNPOなど、在チリパレスチナ人とチリ人、そしてパレスチナに住むパレスチナ人を繋ぐ存在になっています。
パレスチナ解放運動も根強く、現在のチリ議会で最大の委員会「パレスチナの自決権委員会」には155人中100人の議員が参加しています。

またチリのパレスチナ人を語る上で外せないのがサッカー。1920年に創設されたClub Deportivo Palestino(パレスチナ人のスポーツクラブ)は長年パレスチナの国旗を掲げていて、毎週末チリ各地のスタジアムでパレスチナの旗がなびき、地元メディアが報道するそうです。旗ごときと思われるかもしれませんが、国を建てられずに、パレスチナに住んできた歴史や培った文化・存在まで否定されている彼らにとっては大きな意味を持ちます。

チリを初めて訪れた時、アッバス氏(パレスチナの代表)は

「パレスチナからパレスチナへやって来た」

と発言したそうです。記事の執筆者でコミュニティのリーダーであるハミースさんも「我々チリのパレスチナ人は伝統的なパレスチナ文化の守護者だ」と話し、レストランや家庭で日常的に伝統料理(パレスチナでは記憶の味となりあまり食べられていないものも)が提供されたり、アラビア語の発音が昔ながらだったりするのだと言います。ちなみにクネフェというパレスチナの大人気デザートがあるのですが、発祥地のナブルスという町ではチーズが入っているのに対し、ベツレヘム出身者が多いチリのコミュニティではチーズなしのものが当たり前なんだとか。ハミースさんの締めくくりです↓

「チリのパレスチナ人は精神的な面だけでなく、生活実践のなかでもパレスチナ文化を守ってきた。私たちは心からチリ人であり、同時にパレスチナ人だ。ここチリから、パレスチナで皆が平和に暮らせるようにこれからも活動を続けていきたい」

移住先の国によっても事情は違うでしょうが、皆がこうして複数のアイデンティティに対して前向きな愛着心を持って暮らしていけたら素敵だなと思います。日本人も同じころたくさん南米(特にブラジル)に移住していますから、不思議な共通点を感じますね。

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架け箸はこれからも継続的にパレスチナを訪れ、日本に出回らない生の情報を発信したいと思っています。いただいたサポートは渡航費用や現地経費に当てさせていただきます。