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逃げ上手のおっさん 第1話

サムネ詐欺のnoteタイトルですみません。

僕の半世紀の人生を振り返ると、まさに「逃げ」の連続でした。

始まりは高校中退で、自称進学校特有の陰湿ないじめと成績不振を苦にした結果、中退という選択肢を選びました。その時代は、今みたいな通信制の高校はNHK学園しかなく、そこに編入学するつもりでした。ところが、たまたまアルバイトをしていたコンビニの近くに、都立の単位制高校が開校する事を知り、受験したら合格、単位制高校は定時制扱いなので教科書代も無料で中退した私立校よりもはるかに安い学費で、後年母親から、私学の授業料を支払わずに済んで助かったとも言われました。

同世代より1年遅く高校を卒業後、特に何もせず、まさに今で云うニートな生活をしていましたが、さすがに半年間もグータラしていたら将来に不安を感じ、独学で受験勉強を始めました。辞めた高校は東大に二桁、早慶上理に300人合格者を出す学校でしたので、学年最下位の成績だったとはいえ、基礎学力はもっていたので、半年間の猛勉強の末、辛うじて東京六大学の一角に入学する事ができました。

大学4年間は、とにかく自由を謳歌し、法学部だった事もあって卒業論文の必要が無かったこともあって就職活動に専念することができました。ここで楽しかった大学生活のツケで、何故か就職先に消費者金融、サラ金を選んでしまったのです。当時の消費者金融はまさに絶頂期で、不良債権で苦しむ銀行をよそに高利貸しで巨額の利益を得て、私が入社した会社の社長に至っては「銀行を買収する」とまで豪語していた時代でした。両親は猛反対しましたが、年齢的に2浪している手前、ちゃんとした会社では出世も出来ないと思い、ならば勢いのある業界で稼いでやろうという若造の若気の至りもあり、結局入社することになりました。

入社後は、主に返済の遅れた顧客への電話での督促が仕事でした。当時は、事業者金融の「日栄」という会社が、確か連帯保証人に「腎臓売れ!」と暴力的な取り立てをしていて社会問題になるちょっと前でしたが、私は至って丁寧に「どうかご入金をお利息だけでも結構ですのでお願い致します」と平身低頭に対応していました。それが先輩(僕より年下)には気に入らないらしく「そんな態度じゃ客に舐められるぞ!」と叱られましたが、お客様の支払う利息で給料が支払われている以上、そんな強気に出る気はありませんでした。その後半年で同一エリア内の別支店への異動がありましたが、異動先はとてもアットホームで、同僚たちとも仲良く仕事ができ、かつ、不動産担保ローンや商工ローンの大口契約も獲得し、債権回収も順調だったこともあり、エリア課長からも評価され、わずか入社1年で副支店長に大抜擢されました。しかし、抜擢後一か月で逃げるように退職しました。

半年以上、返済が滞っていた常連のお客様へ、いつものように電話をすると、「交通事故で亡くなりました」と対応に出た方から言われたのです。その時、私は頭のネジがすっかりサラ金ナイズ化されていて、お悔やみを考える以前に、「じゃあ、実家に電話をかけて死亡診断書を送ってもらうか」と事務的な対応をしました。消費者金融の顧客は、借りると同時に団信、団体信用保険に加入することになっていて、もし亡くなった場合、団信が債務を肩代わりしてくれるのです。これはサラ金に限った事ではなく、住宅ローンなどでもある制度です。そして、亡くなった方の親御様から送られてきた死亡診断書を見ると、死因が「縊死」とあったのです。交通事故ではなく、首吊り自殺だったのでした。それを見て、私は、その方が多重債務者で、複数社から数百万円借りていて、返済に悩み苦しみ死を選んだのだと知り、一瞬で頭の中が真っ白になってしまいました。「僕がいつも電話をしていた事がこの人を死に追いやったのかも知れない・・・」自分の仕事が、実はとんでもない事をしているのだと、悟ったのでした。

その後、その方の住民票を取り、除票されていないと団信への申請ができなかったのですが、その手続きには時間がかかり、返済期日までに間に合わない状況だったのですが、支店長からは、期日に間に合わないと支店にペナルティが課せられるので、親御さんに払ってもらえ、と私に指示してきました。さすがに、借金苦に自殺した人の親御さんにそんな電話かけられる度胸はなく、無理です、と告げると、「てめぇ、ちょっといい大学出ているだけで副支店長とか、調子こいているんじゃねぇよ!」と胸倉を掴まれて恫喝されました。今のご時世ならパワハラですが、当時はそんな慣習もなく、ただただ恐怖と憎悪が漲り、翌日本社に退職届を速達郵送して退職しました。

僕はこの選択は決して間違っていなかったと今でも思っています。その証拠に、あれだけ我が世の春を謳歌していたサラ金業界は壊滅してしまったのですから。それに、僕は人間としての尊厳を守りたかった、サラ金の取り立てをゲーム感覚で楽しんでいた自分が愚かで情けなく思えてなりません。

そうして社会人として最初の「逃げ」が始まったのでした。

(第2話に続きます)


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