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親心を我が子に伝えるのは難しい

最後に夢を語ったのはいつだったか。

近頃、目の前のことをこなすのに精一杯で考えることもなかった

しかも、先々のことで考えるとしたら子供の学費や老後を踏まえた貯金の話ぐらいときた

きらきらとした夢を語ったのはいつが最後だったか…

はじめての夢は定番のお母さんだった。そのうち妹の夢がお客さんだと知り、それなら来てもらえるように私がお店屋さんをやってもいいなと思うようになってから、ずっとケーキ屋さんやパン屋さんとか食べ物屋さんの名前をあげていた

でもその都度、母が冷静な指摘をする

あなたの手は温かいからケーキには向いてないわ。朝早起きが大変だよ、パン屋さんわ。

今思えば的確な指摘だった。私は手が普通の人よりも温かいし、何より汗っかきだ。それに早起きも苦手で、大人になった今でも布団から出るのに気合がいる。

でもそんなことは当時どうでもよかった。なんで応援してくれないんだと思っていた。多分、誰よりも自分を見ててくれたからこその指摘が的確すぎて、夢を壊されたのにも関わらず反発できず、ただ悔しかったのだろう。

結局うまく言い返せず、仕方なく母には「夢がない!」っとよく言っていた。もちろんそれは妹も同じだったようで二人で口を揃えて母に言っていた。だから夢の話は基本父にしていた気がする。父の方が夢を応援する姿勢があって好きだった。

そのうち将来の進路をしっかり考えるようになり、いろいろ調べたりするようになると現実が急に見えてきて何がやりたいのかわからなくなった。

その時も母に相談すると指摘ばかりだったので、あえて真逆の科目を選んだりと反発を繰り返した。本当は一番向いてそうな職業を母はずっと勧めてくれてて、少しでも将来が安定するように指摘をしてくれてたのだが…

結局やりたかったことを見つけてもうまく進められず、なんでもいいから働こうと思って働きだしてからは、夢を考える時間もなく気づけばそれからはあっという間だった。

たられば話をしても仕方ないが…今思えば、母の指摘を受け入れるべきだったし、そうしてたらもう少しうまくいっていたような気もする。でも、あの時はずっと母の一言一言が否定的に聞こえていたのだ。逆に言い方を変えてくれればもう少し受け入れられたかもしれないとさえ思う。

まあ、受け入れなかったからこそ、職場で旦那さんに会えたのかと思うとまたそれはそれで複雑である。


今子供が産まれてわかることは、我が子にはなるべく安定した生活を送ってほしいということ。母が願っていたことと同じことを私も我が子に思っている。だからこそきつい言い方になるのだろう。親心というものだ。

だからといって同じことを繰り返すつもりはない。我が子には私の経験を活かして伝わるように伝えるつもりだ。もちろんうまくいく保証はないのでなんとも言えないが、あまり自分の気持ちを前のめりにださないことからはじめたいと思う。子供の意見を聞く、尊重する。親心が邪魔をして忘れがちな当たり前のことをしていこうと思う。

そして、忘れていたキラキラとした気持ちを私も忘れないよう新しいことにチャレンジしたり、老後どう生きていくのか、老後の「夢」も考えていきたいと思う。

とりあえず老後の夢第一号として、旦那と新婚旅行先にもう一度二人で訪れようかな。

穏やかなバカンスを夢に見て、今日も子育てに奮闘します。



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