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「メメント・モリ」 死を想え

一枚の写真がある。
真ん中に映るおばあちゃんを家族が囲む団らんの風景。
現像した時、驚いた。
無数の発光体がシャボン玉のようにちらばっていたのである。
しかし、不自然さはなく、発光体によって穏やかな雰囲気をかもしだしていた。

数日後、おばあちゃんは亡くなった。

おばあちゃんは私の祖母ではない。
当時私が受け持っていた患者さんである。
今から10年以上前、看護師としてはまだまだ新人の頃である。
末期の大腸がんであるTさんの受け持ちになった。
Tさんは高齢でもあり、積極的な治療は行わず、いわゆる緩和ケア目的で入院されていた。
その当時勤めていた病院に緩和ケア病棟はなく、一般病棟にターミナルの患者さんが多数入院していた。
Tさんは外来通院でフォローされていたが、体調悪化により入院された。入院時から自力で起き上がることはできず、声かけには返答があるものの、表情は虚ろで、目を閉じて臥床していることが多かった。
数日経過し、いくらか症状も緩和されてきた頃、カンファレンスで今後の方向性を話し合った。症状が落ち着いたとはいえ、自宅に帰るには家族の負担も大きく、現状では難しい。このまま病院で看取る方向性であった。外泊も厳しい。ならば外出はどうか?という提案が出た。Tさんと、同居の娘さんに提案を試みた。Tさんは遠い目をして「帰れるのかねぇ…」とつぶやいた。娘さんは驚きながらも、できることなら少しでもいいから家で過ごしてほしいとおっしゃった。Tさんの家は病院のすぐ近く、歩けば数分のところにあった。しかしその数分の距離がTさんにとっては近くても遠い距離であったのではないだろうか。
しかし、このチャンスを逃してはならない。主治医の許可をとり、あまり乗り気ではないTさんだったが、娘さんや他のスタッフからの声かけで外出に対し前向きになれるよう試みた。
そして外出の日、寝台タクシーにて自宅へ帰り、居間に用意されたベッドへ横になるとTさんは涙を流した。様々な感情がこみ上げてきたのであろう。
その後集まった家族、親戚一同で昼食を食べた。Tさんはみんなの様子を穏やかな表情で見つめていた。
写真はその時に撮ったものである。
発光体がカメラの不具合によるものなのかはわからない。
今は亡きご先祖さまも集まってきてTさんを見守ってくださっているかのように感じた。


あれから10数年、たくさんの出会いと別れがあった。
生まれたばかりの新生児から人生の最期を迎える方まで、実に様々な方々の「生と死」の現場、時間
に関わらせていただいた。 
その時は仕事にいっぱいいっぱいで振り返る余裕もなかったが、今になって思い出すことが多い。
職業柄もあり、自身にとって「生と死」は特別なことではなく、あまりに身近過ぎて、深く考えてこなかったのではないか、という思いもある。
「人はいつかは死ぬのだ」
どこか他人事な捉え方をする自分もいた。

タイトルにある「メメント・モリ」とは
中世ヨーロッパで使われたラテン語の警句である。
「死を想え」 
「死を忘れるな」 などと訳される。
「死」を考えることは「生」を根本から見つめ直すこと。それは昔も今もこれからも変わらない真理である。

一枚の写真から想起された「メメント・モリ」
この真理について自身の実体験を振り返りながら、読書体験も織りまぜて今後も発信していきたい。

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