女の子だけが暮らす森へ 【#1】
はじめまして。
doronco dorothy(泥んこドロシィ:アートユニット)のkajuminです。
今年(2022)にかけて制作した「メノココタンの森」というアニメーション作品があり、
この制作にあたって考えたこと、作品に込めた思いについて書き残したいと思い、noteはじめました。
作品に寄せて
誰しもが、世の中に対して一つや二つ疑問を持っていると思います。
私の幼い頃からもつ大きな疑問の一つは、
「なぜこの世に男は存在するのだろう」でした。
…ちょっと待ってください!
もちろん生物上のことを理由にすれば簡単に答えの出ることで、
私にもそれはしっかりと理解できていました。
でもなぜか…なぜかそれは私の疑問の答えとしては不十分だったんです。
そして、誰がいつ言ったかは分かりませんが
「この世界の何処かには女だけの星が存在する」という話を聞いたとき、
それが非常にしっくりときたんです。
生物学的には不自然に思われても、
私にはそれがごく自然で合理的な、人類の理想郷のように思えました。
その星がもし本当にあったら、女の子たちはこんな風に自由で、
ありのままに、可愛くいられるのではないだろうか。
そう思いを巡らせた"フィクション"の世界を描いたのがこの作品です。
女だけが住む部族アマゾネスや日本の女護島(にょごのしま)など、
神話や言い伝えの中にもそのような集落は登場しますよね。
そういうものが例え"フィクション"でも存在するということは、
それが存在する必然性や必要性を、誰かが少しでも感じていた
ということではないでしょうか?
作品解説
さて作品自体は、
手描き(つけペンと透明水彩)でアニメーションを描いて、
それを絵を描いたキャンバスにプロジェクターで投影しており、
全部で6つの場面を描いています。
最初は、朝の身支度のシーン。
いくらやっても決まらない髪型やメイクに、
何着あっても足りない服…
朝の支度って時間がかかる。
そしてようやく家を出発。
合わない靴を履いて急ぎ足、
靴がスポーンと脱げてしまったり、
躓いてしまうことも。
女の子は噂話が大好き。
あっちの方で集まってコソコソ、
あの子がいなくなったらあの子の話を、
この子がいなくなったらこの子の話を。
そして、私達を支配する大きな波が来ます。
ジェットコースターにも例えられる
大きな浮き沈み。痛み。悲しみ。開放感の繰り返し。
ただの気分屋だと思われてしまって、さらに落ち込むことも。
涙の意味はひとつではありません。
ほとんどは勝手に出てきてしまう、意図なんて無いものなんです。
体の反応みたいなもの。
でも泣かれた人は、その涙を疎ましく思ってしまう。
それが「嘘泣き」と呼ばれるようになったのかもしれません。
そして、突然の眠気。
毎日お昼寝したい。
起きられない朝…
そんな私達にとっては日常のできごとを、
女の子の姿をした「メノコちゃん」たちに表現してもらいました。
男女平等やジェンダーフリーなどの言葉をよく聞くようになりましたが、
口では言っていても、頭でちゃんと理解できている人はどれだけいるのでしょう。
性について、本質的なところをしっかりと理解しなければ、
本当の平等な世界には辿り着けないと私は思います。