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『破局』遠野遥 「2020年で一番良い」と、自信を持って

このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『破局』遠野遥

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○以下会話

■不穏な主人公に共感してしまう自分がいる

 「最近読んだ面白い小説か。そうだな、そしたら遠野遥の『破局』がオススメだよ。この小説は、今年芥川賞を受賞した作品で、作家の遠野さんは平成生まれで初の芥川賞受賞者になった人なんだ。髪の毛がめちゃくちゃボリューミーで漫画のキャラみたいな人だよ。

そんな遠野さんが書いた『破局』は、とにかく面白くてここ最近で読んだ小説で一番好き。もう2020年で一番と言い切っても良いくらい。主人公がすごい独特で、読む人によっては「気持ち悪い」とか「サイコパスだ」って思うかもしれないけど、どこか現代的な価値観をもった主人公のことを僕はすごい好きになれたんだよね。元々村上春樹の小説の主人公の「僕」が好きだったんだけど、その「僕」と同じくらい好きかもしれない。

『破局』は最近出版されたばかりで、ガンガンに著作権が発生してるから、思いっきりネタバレすることはできないんだよね。だから僕が面白いと思ったところをかいつまむから、是非後で買って読んで欲しい。

■3人の大学生の三角関係

『破局』は、主に3人の登場人物で話が展開されるんだ。まず主人公の陽介。元ラグビー部の公務員就活中の大学4年生。そして、陽介の彼女の麻衣子。同じ大学の4年生で、政治家を目指している。そしてもう一人が大学の後輩の1年生の灯(あかり)。

ストーリーは単純なんだ。陽介は元々麻衣子と付き合っていたんだけど、麻衣子の政治家への活動が忙しくてなかなか会えないという理由で別れて、一年生の灯と付き合う。だけど、麻衣子との関係を完全には断ち切れず、泥沼になって灯とも別れてしまい、最後は陽介自身も「破局」してしまう、という話なんだ。

ストーリーだけを追うと、昼ドラの年齢若いバージョンみたいな感じだけど、この作品のポイントはズバリ主人公陽介なんだ。

■マイルールに従う男、陽介

陽介は、母校の高校のラグビー部でコーチをしながら、公務員を目指して勉強している慶應生で、常に「マイルール」に従って行動している男なんだ。「女には優しくするものだ」とか「便座を上げたままトイレを出る男は身勝手だ」とか自分が設定したルールに、自分にも、そして人にも厳しいんだよ。

そんなマイルールを持って日々生きているから、陽介は常にストイックに勉強も運動もするしっかりした人間なんだよ。常に正しいことをしていて、正義感もあって、世の不条理に嘆いたりもするんだ。客観的にみたら、完全無欠のエリートのような存在なんだよ。

だけど、この陽介は、何かが変なんだよ。

正しい行為をしているんだけど、そこに至るプロセスが変なんだ。例えば、「笑うのを期待しているような話ぶりだったから、笑うのが礼儀だと思った。だから笑った」とか、「脚をわざとぶつけようとしたが、自分は公務員を目指していたのでやめた」とか。

つまり陽介は、何か行為をする度に、その行為への理由を毎回考えている人間なんだよ。では一体なぜ、陽介は行為に対して理由が必要なのか。それは陽介は感情を理解できないからなんだ。作中で陽介は泣いたり笑ったりもするけど、全て自分の感情から起こったものではないんだ。

例えば、友人のお笑いライブを観るシーンでは、他の文章が「〜だった」と断定されているのに対して、

暗い部屋の中で他人と他人の間に座り、私は声を出してよく笑っていた。

と、「〜した」ではなく「〜していた」と、人の行為を観察しているような客観的な書かれ方をしてるんだ。

他にも、コンビニがなく、灯に飲み物を買ってあげられなかったことで、陽介が突然涙を流すシーンでも、

自分が稼いだわけではない金で私立のいい大学に通い、筋肉の鎧に覆われた健康な肉体を持っていた。悲しむ理由がなかった。悲しむ理由がないということはつまり、悲しくなどないということだ。

と言って涙がスッと消えるんだ。楽しいとか悲しいとか一般的な感情が理解できない陽介は、笑うとか泣くとか感情に起因する代表的な行為を理解できないんだよ。そして、笑うとか泣くとか単純な感情的行動だけでなく、楽しいから運動をするとか、悲しいから家で映画を観るとか、感情から発生した行動も全くしないんだ。

■感情を排除した行動

会社に行くとか、歯を磨くとか、ご飯を食べるとか、勉強するとか、普通の僕らの行為は、感情とか社会規範とか価値観とか倫理観とか欲望とか、いろいろな判断基準が理由となって行われているよね。

でも陽介はその中の「感情」という項目がごっそり抜けているから、「人が求めてきたから笑う」とか「公務員を目指しているからやらない」とか感情ではない何かを理由にして行動を起こしているんだ。

感情に左右されず、マイルールに従って行動するから、最初はものすごく真っ当な人間に見えるんだ。だけど、感情が欠如した陽介の行為は、段々とAIのような、ゾンビのような、人間の血が通っていない不気味な存在に見えてくるんだよ。

■ゾンビになった陽介

実際に文中にも「ゾンビ」というワードが出てくるんだ。高校生の頃、陽介は、ラグビーの試合で自分より大きい選手にタックルする際、自分のことをゾンビだと思うことにしていたんだよ。ゾンビだと思うことで恐怖心を無くしてぶつかっていって、ゾンビだと思うことで疲れを感じずに何度も立ち上がって、ゾンビだと思うことで試合に勝てていたんだ。

陽介は目的が明確なフィールドにいると、ものすごく力を発揮することができるんだよね。でもラグビーの試合を離れて、日常に足を踏み入れると、そこには明確な目的なんて用意されていないよね。目的がなくても生きることはできるんだけど、感情がない陽介には行動するためのルールが必要なんだ。だから公務員試験という目的を設定して、マイルールを作ってそれに沿った行動をするんだよ。

だけど物語のラストで、このマイルール制が破綻するんだ。陽介のマイルールには書かれていない出来事が起こってしまって、そこで初めて陽介は、理由づけがない行動を起こすんだ。眠っていた感情の爆発なのか、無意識的な体の反応なのか、理由のない行為によって陽介自身も「破局」してしまうんだ。

このラストに行くまで、物語の後半でいっきに急加速していく感じがすごい読み応えがあるんだ。何が起こったのかは、実際に読んで確認してほしい。

■何のために生きるのか

『破局』のテーマは「生きる意味とは何か」だと思うんだ。僕たちは日々を生きている中で、それぞれの目標をもったり、やりたいことを見つけたりして生きているよね。もちろん、何の目的もなくただ日々を過ごしているっていう人もいて、それはそれで良いと思うんだ。

でもここでは仮に、何か目標に向かって努力している人が一人いるとするね。その人に、「その目標を目指している理由は何?」「その理由は?」「その理由は?」って就活の面接みたいに、人生の目標について何度も何度も深掘りしていくと、最後に残るのは「感情」だと思うんだ。

つまり、「サッカー選手になりたい」とか「幸せな家庭を築きたい」とか「お金持ちになりたい」とか、色んな目標を目指す理由の核が、楽しいからとか、嬉しいからとかの、「感情」になってくると思うんだよね。

『破局』の陽介は、公務員になるという目標を持つんだけど、感情から起因しているものでは無いから、そこに虚無感が生まれてしまうんだよね。

『破局』は文壇から「新時代の虚無」を描いていると評されているんだ。この言葉の意味を自分なりに考えてたら、「感情」がキーワードになるんじゃないかなって思ったんだ。

■人の感動を消費する

今の時代、SNSが生活とは切り離せない状態にあって、僕らは日々InstagramなりTwitterなりYouTubeから情報を仕入れているよね。もちろん自分でも投稿できるけれど、投稿の数で比べたらフォローしてる人のを見る数の方が多いよね。

人の投稿は、その人が感動したり楽しかったり美味しかったり悲しかったりしたもので、自分が感じたことではないよね。SNSというものは、他人が何かを消費して感動したものを、その人のフィルターを通して消費するものなんだよ。つまりSNSを見ることは、人の感動を消費することなんだ。

極端な言い方になるけれど、SNSの情報ばかり吸収していると自分の感情ではなくて、人の感情でしか判断できなくなるんだ。その果てが『破局』の陽介で、何の感情もなくただ消費していく様を「新時代の虚無」と評したんだと思うんだ。

実際に体験して感じたことを正直に受け入れていく作業をしないと、虚無の世界を生きるゾンビになっちゃうぞって遠野さんは言いたかったんだと思う。多分。

■『コンビニ人間』の主人公と『破局』の主人公

陽介の生きづらさは、村田沙耶香の『コンビニ人間』の主人公と凄い似てるんだよね。『コンビニ人間』の主人公の恵子も、小さい時から「普通」の感覚が分からなくて、周りから浮いてしまう存在なんだ。普通が分からない恵子は、コンビニアルバイトでマニュアルに沿って行動することで初めて、コンビニ店員としての「普通」を手に入れるんだよ。普通になれた恵子は張り切って働くんだけど、コンビニから一歩外に出るとまた「普通じゃない」人間に戻ってしまうっていうお話なんだよ。

陽介はラグビー、恵子はコンビニという自分の生きやすい環境があって、そこだけで生きることができたら幸せなんだけど、日常の部分に上手く適合できなくて苦しむんだ。

一見二人は似たもの同士の気がするんだけど、実は陽介の方が「重症」なんだよね。恵子は自分が普通ではないことを自覚していて、それを心配してサポートしてくれる人物も存在しているんだ。いわば「治療中」の身で、家族にも見守られている状態なんだよ。

だけど陽介は、自分に感情がないことは自覚していなくて、そんな陽介を温かく包む存在も出てこないんだ。陽介は孤独で、でもその孤独さえも理解せずに、何も無い空間に向かって無表情に前進していっているイメージなんだ。

■陽介と膝の関係

『破局』の中に、膝という男が出てくるんだけど、この登場人物がまた不思議な存在なんだ。彼は、陽介の友達でお笑いサークルに入ってる大学四年生なんだ。陽介に対して、長文メールを送ってきたり、長電話をしてきたり、いきなり話しかけてきたり、不思議な登場の仕方をするんだよ。

膝は、「人に引退のタイミングを決められたくない」と言って、4月にサークルを引退するような、自分の思った通りに行動する人で、陽介とは反対の人なんだよ。陽介が「論理」だったら、膝は「感情」っていう感じ。

ストーリーでは、要所要所に膝が登場するんだ。この陽介と膝の関係性が何かに似てるなって思って考えてたら、村上春樹の初期の作品に登場する、主人公と「鼠」の関係に似てるって気が付いたんだよ。

■村上作品の「鼠」

村上春樹のデビューから三つの作品は「鼠三部作」と呼ばれていて、主人公と共に鼠という人間が毎回出てくるんだよ。鼠は金持ちの陽気な男で、主人公の友達なんだ。三作品毎に扱われ方は少し違うんだけど、「僕」が主人公となって展開される話の要所要所に良い感じで登場してくるんだよね。

そんな鼠は、「定規」の役割を果たしていると思うんだ。主人公の「僕」は独特な雰囲気を持つ人なんだけど、鼠はわりかし一般的な考え方をする人なんだ。小説では、「僕」のオシャレで気取った行動に、読者は「カッコ良いな」って思いつつも、振り回されすぎて酔っ払ってくるんだよ。もうオシャレさでお腹がいっぱいだってなるころに、鼠が登場して、地に足ついた普通の行動をしてくれることで、一息ついてまた読み進められるんだよ。読者は鼠を通して「僕」との距離感、ひいては小説との距離感を図れるんだ。

遠野さんは膝にも鼠と同じ役割をさせたかったのかなって思う。膝も少し変わった人間ではあるんだけど、「他人と違うことをやりたいと思いながら、一方で他人に認められたいって思いもあって、それが苦しい」とか、就活で「自分の欠点を隠して良いところばかりべらべらと喋るような人間には、俺はなりたくない。」とか言ったりするんだよ。少し変わった人間ではあるけど、その変わり方が一般的で、逆に「ごく普通の人間」感が出てるよね。

陽介という感情がないルールに従った行動をする主人公を追っていくと、読者はちょっと疲れてくるんだ。陽介の思考パターンに触れすぎて麻痺してくるみたいな。そこに膝が登場して、「酒呑みすぎて頭が痛い」とか普通のことを言ってくれることで、なんだか安心できるんだよ。一般的な思考パターンを一度取り入れることで、陽介との距離感を確認できるんだ。まさに、村上作品の鼠と同じ役割なんだ。膝と鼠で漢字一文字で変わった名前だし。

■慶應生は楽しいと思う

作者の遠野さんが慶應出身ということもあって、作中で明言はされていないけど、おそらく『破局』は慶應大学が舞台になっているんだ。ところどころに慶應を感じるワードがあるから、慶應卒もしくは慶應生の人はそれを探すだけでもちょっと楽しいと思う。例えば

「単位を取り損ねた人間は三年になっても日吉に通うけれど、私は単位を落とさないから用がなかった。」
「改札の前には銀色の球のようなオブジェがあって<中略>これはぎんたまだと教えてやると、灯は少し笑った。」
「今日は陽介君に教えてもらったかくれんぼサークルに行きました」
「カフェテリアは四階にあるから、窓際の席に座ればそこそこ悪くない眺望を得ることができた。」

とかがあるんだよ。慶應に陽介と麻衣子と灯がいて、この「破局」を展開してるんだと思うとさらに面白いよね。

■期待の新人

遠野さんはまだ28歳で、二作品しか出版されていないんだ。だけどこんなに世界観がしっかりできた小説を書いているから、僕が言うのもおこがましいけどめちゃくちゃ今後に期待できる存在だよね。好きな小説家がまた一人増えて僕は嬉しい。今後も遠野さんの新作を追っていきたいと思う。」


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