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『マイ仏教』みうらじゅん 「仏教って良いよね」とニッチに

このnoteは、まだ本を読んでいない人に対して、その本の内容をカッコよく語る設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『マイ仏教』みうらじゅん

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【みうらじゅんを語る上でのポイント】

①「マイブーム」の産みの親なんだよと自慢する

②生き方がカッコいいと惚れる

の2点です。

①に関して、「マイブーム」という言葉はみうらじゅんが考え、他にも「ゆるキャラ」、「クソゲー」も彼の言葉です。みうらじゅんはある現象をオリジナルの言葉に落とし込む才能に長けていて、彼のお話とか文章にも随所に散見されて笑えます。

②に関して、みうらじゅんはフラフラと好きなことして生きながらも、根っこは一本筋が通っています。それは、おそらく彼の思想の根底に仏教があって、全てはお釈迦様の手の中にあると分かっているからだと思います。自分のことを「文化系の童貞野郎」と評してますが、彼は紛れもなくカッコ良い男です。


○以下会話

■仏教に興味を持ったらまず読むべき本

 「一瞬でもいいから仏教に興味持ったことある?あるよね。僕も多分三瞬くらいあるんだ。それで自分なりに仏教について調べてみて、初めは「へー」って感心するけど、少し深くなると難しくて何のことだか分からなくなって、「もういいや」ってなるんだよね。

それとは別に、高校3年生から大学1年の間、みうらじゅんにどハマりしたんだ。当時、彼のラジオとか著書に手当たり次第目を通していて、その時に、『マイ仏教』っていう仏教に関する本を読んだんだ。これがめちゃくちゃ面白くて今でも心に残ってるんだよ。

まず、みうらじゅんって知ってる?タモリ倶楽部とかニッチな番組に時々出てるロン毛でサングラスをしてるおじさん。あの人は「マイブーム」という言葉を考えた人なんだよ。色んなものに興味を持つ性格で、みうらじゅんの一時の「マイブーム」として、地方のキャラクターがゆるくて面白いって注目して「ゆるキャラ」が世間に広まったんだよ。この「ゆるキャラ」もみうらじゅんが考えた言葉なんだ。凄いよね。

こんなみうらじゅんが、幼少期から「マイブーム」になっていたものが、仏像なんだよ。元々怪獣が好きで「怪獣みたいでカッコいい」と思って仏像を好きになって、そこから仏教にも興味を持ったらしいんだ。でも熱心な仏教徒になった訳ではなくて、趣味の延長で仏教に向き合ってるんだよ。そのみうらじゅんが書いた『マイ仏教』は、仏教との距離感がちょうどよくて、僕みたいな素人が読むには最適なんだよね。

『マイ仏教』では、彼なりに仏教の教えを解釈して分かりやすく書いていて、ユーモアがあって笑えるんだ。仏教について少し知りたいなって思ったら、間違いなくオススメ。

■『マイ仏教』の3つの魅力

『マイ仏教』で特に印象に残ったのは3つくらいあるかな。ちょっとそれを紹介するね。

1つ目は「自分無くし」。これは「全てのものには実体がない」って意味の「諸法無我(しょほうむが)」という仏教の教えに関する提案なんだ。

「諸法無我」という言葉は、「この世に存在する形あるもの」という意味の「諸法」が、永遠には存在し「無」いっていう意味なんだ。ここでの「我」は私っていう意味ではなくて、「永遠の実体」っていう意味。つまり「諸法無我」は、「どんなものも変化している」っていう意味の「諸行無常」と同じ世界観を描いているんだよ。

例えば「自分探し」っていう言葉があるでしょ。大学生や若者が自分探しのために旅にでたりするよね。この「諸法無我」は、そもそも「自分」には実体がないのだから、それを探そうと思っても無駄だよっていう教えなんだ。世界にある全ての物は実体がないのだから、自分にも実体はないし、世界にも実体はない。「我思うゆえに我あり」ってデカルトは言ったけど、その千年も前に「その我もない」って言ってるんだ。

で、ここからがみうらじゅんの考えなんだけど、どうしても自分探しをしたい場合は、いっそのこと「自分無くし」をしてみなって提案してるんだ。自分という入れ物に溜まってる、趣味とか仕事とか、好きな食べ物とか嫌いな服とか、嫉妬心とか執着心とかは、どうせぜんぶ諸法無我なんだから、それらを一度無くしてみたら、何かが変わるはずだってこと。全て捨てて、それでも底にしぶとく残ってるものが「自分」なんじゃないかってことなんだ。

これと似た話を別の本で読んだんだ。世の中に「趣味がなくて寂しい」って言ってる人がいるでしょ。そういう人は趣味を見つけるために新しく何かを始めようとするよね。そうではなくて、今やってる生活スタイルの中で一度何かをやめてみて、そのやめた時間に勝手に入ってくるものが本当に好きなこと(趣味)なんだって書いてたんだ。例えばスマホをいじる時間や無駄に寝る時間を一度無くしてみたら、その空いた時間を埋めるために人間は何か自然に始めるもので、それが自分が今やりたかったことなんだってことなんだよ。

自分探しの旅に行って本当に自分を見つけてきた人は果たして何人いるのか、とみうらじゅんは言いたい訳だ。自分に何が当てはまるのか探すんじゃなくて、自分の持ってるものを一度捨てることで、それでも残るものが本当の自分だってことだね。

2つ目は後ろメタファー。仏教やキリスト教とかの宗教の優れた点は、「あの世の存在を作ったこと」ってみうらじゅんは言うんだ。死んだ後の地獄や極楽の概念を作って、あの世の存在を皆に知らせる。このことで、いま生きてる現世で良いことをしないと、死んだ後あの世でひどい目にあうっていう「教え」ができて、この世が安定するんだよ。だから「信じるものは救われる」と言って、現世で暴れるなよって民衆の暴動を抑えるためにも宗教は使われていたよね。

でも今はあの世を意識することが少なくなって、後ろめたい気持ち、申し訳ない気持ちを抱きにくい世の中になっているよね。みうらじゅんは、この後ろめたい気持ち(メタファー)を「後ろメタファー」って名付けたんだ。「後ろメタファー」を意識することで、悪いことをしないでおこうっていう感覚が生まれてくるんじゃないかって言ってるんだ。

更に、後ろメタファーは創作の原動にもなるとも言っているんだ。確かに文学の世界には後ろめたさ、申し訳なさを題材にしたものは沢山あるんだよ。例えば「生まれてすみません」の意識がある太宰治の『人間失格』なんて、まさに彼の後ろメタファーを書いた小説だよね。

3つ目はお金の強制力。日本は平安から室町あたりまで仏教が強い力を持っていたんだ。なぜ民衆がそこまで強く仏教を信じていたのか。その理由の一つが「お金をお布施していたから」らしいんだ。

入場料1万円のライブと、路上ライブで、どちらが観客は一生懸命歌を聞くかって言ったら当然1万円のライブだよね。人は一生懸命稼いだお金を払うことで、その分を取り戻そうと思って、一生懸命になるんだよね。

例えば今ライザップが流行ってるよね。ライザップに入会した人が痩せられる理由の一つは「会費が高いから」らしいんだ。会費が5千円だったら途中で挫折しても「別にいいや」って思えるけど、30万円払ってたら「痩せなきゃ損だ」って思って本気で取り組むよね。だから自然と結果にコミットするんだよ。

これと一緒で、当時の人はことあるごとに仏閣にお布施をさせられていたから、「良い教えを貰わないと損だ」って必死に仏教の経典を理解しようとしたんだ。結果仏教が力を持ったんだね。でも今の日本人は初詣で浅草寺に10円投げ込んで、せいぜい占いしたりお守り買うくらいで、身銭を切ってないよね。だから教えを学びたいっていう気持ちになりにくいんだ。

一方で巷の新興宗教は色々とお金を払わされるから、「これで救われなかったら損だ」って思ってもっともっと没頭するんだよね。なかなか取れないUFOキャッチャーと一緒だね。

■自分の言葉で語ることの価値

『マイ仏教』が面白い理由は、みうらじゅんが「仏教」というよく分からないものを自分の言葉に落とし込んで、自分なりに解釈してそれを発表してるからだと思うんだ。

僕も本読むのが好きで、時々小説の考察とかをネットで調べたりするけど、本の内容を自分なりに落とし込んで、その人のフィルターを通して自分の言葉で語ってる考察を読むと、例えその考察自体に納得できなくても、面白いなって思うんだ。本の考察だけではなくて普段の日常会話でも、どっかから借りてきた言葉じゃなくて、自分の言葉で語ってると聞いてて面白いなってなるよね。

みうらじゅんはラジオもやってるし、本も沢山出してるから、興味持ってくれたらチェックしてみて。例えば『正しい保健体育』っていう著書も面白いよ。みうらじゅんは僕が憧れる人の一人だな。」


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