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主戦場

2度観た。1度目は選挙前日の深夜渋谷で一人で。2度目は吉祥寺で夫と。

初めて観たときの衝撃。日本を憂い、一瞬ではあるけど自分には何ができるのか、自分にできることはなんなのかと問いながら渋谷駅まで歩いた蒸し暑い夜を思い出す。

従軍慰安婦問題をめぐる対立意見をインタビューを通して浮き彫りにし、その奥に潜む問題と今の日本の危うさをここまでかというくらいに伝えてくる。

従軍慰安婦問題をなかったことにしようとする歴史修正主義者たち。国家はたとえ間違いを起こしても謝ってはいけないと言うどこかの学者みたいな人。日本人は特別だ、他のアジア人とは違うんだというおごりを隠そうともせず平気で差別的発言を息を吐くようにする、とある女性の国会議員。日本に名誉を取り戻そうと、先の大戦での過ちを正当化もしくは消去したがる歴史教科書を変えたい人たち。
名誉とは何か。尊厳とは何か。
なぜ、従軍慰安婦だった人たちもしくはその家族は戦い続けることができるのだろうか。
お金のためか?それは違うと思う。そのためだけに思い出したくもない過去を、心がバラバラになった出来事をわざわざ公にはできないだろう。
それこそが、名誉のためだと思う。未来のためだと思う。自分が生きた人生の肯定、同じ過ちを繰り返さないために、犠牲者は自分で終わりにしたいというように。

従軍慰安婦問題を決定的に否定できる材料などなくて、肯定できるものや証言はある。国は必死に否定・無視をするのではなく、認めて歴史を前に進めてほしい。

クライマックスに否定論者、歴史修正主義者界隈のボス的存在が現れた。自分を歴史学者と言いながら人の本は読まないという。さらりと流れたので真意がわからなかったが、日本は先の大戦で「勝った」という。南京大虐殺は一切なかったし、教科書には明るい歴史だけを載せるべきだと言う。過去の暗い事実は学校を出たあとに知ればいいと言う。

開いた口が塞がらない、という言葉の通り塞がらず、どうしようもない絶望感に襲われた。

このドキュメンタリー映画の信頼できるところは、どちらの肩も過剰には持たず、事実をもってして進むことだ。過剰な擁護表現は自分の首を締めることにつながるし、事実とはどんどん離れていく側面がある。そこに気づかなければ両者の溝は深まるばかり。

必死で隠したい何かがあれば、脅迫だろうが暴力だろうが手段を選ばず発言する人を潰す。そんなことがすぐそばで起きている。法治国家のフリをしてこの国は不気味な色に染まりつつある。(もう染まりきっているかもしれない)

愛知県で実施されているアートイベントで、ある表現が権力によって潰された。

「表現の不自由展」

潰されたことをもって、その芸術はきれいに完成した。

#主戦場 #従軍慰安婦 #アート #芸術 #従軍慰安婦像 #表現の不自由展 #歴史 #エッセイ

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