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【猫小説】『メニー・クラシック・モーメンツ』第4章:電話(全話)


「もしもし、カイトウ・ユウキ様のお電話でよろしかったでしょうか?」

 ある男性から俺の携帯電話に連絡が入った。「はい。皆藤ですが」と電話に出ると、声の主はシュンの勤務先の「ヤマオカ」という上司だった。

「詳しいことはまだよく分かっていないのですが、弊社従業員の氷室シュン…さんが通勤途中、交通事故に遭われたようで、現在、品川区の聖マルコ病院に救急搬送されたという連絡が入りました。氷室さんの緊急連絡先として ” 皆藤様 ” のお電話番号が弊社に提出されておりましたので、ご連絡を差し上げた次第です。病院の連絡先を申し上げますので、メモのご準備を…」

 ヤマオカの言っていることが、俺はまったく理解できずにいた。

 彼の「早口」だけが、その原因ではないと思う。話の内容があまりにも突拍子もなく、処理をするには膨大過ぎていた。ヤマオカの言葉は耳にした瞬間に溶けてしまう、そんな淡雪みたいな、儚げな結晶だった。

 彼の口から発せられた数字と文字の組み合わせを、手近にあったスーパーマーケットのチラシの裏にかすれたボールペンで書き殴った。
 筆を持つ手が震えた。あしも震えていた。心臓がどくどくと鳴っていた。恐ろしいほど、体内をめぐる血液の流れを感じた。

 本能というのは正直者だ。いくら頭で抗っていても、その理解を身体で以って、ポジティブにアピールしてくるのだから。

「先程、弊社の矢嶋やしまという者を病院へ向かわせました。私も今、聖マルコ病院へ向かっているところです」

 と、ヤマオカは言った。

「分かりました。お忙しいところ、ご連絡いただきありがとうございます。今から私も病院へ向かいます」

 と言って、電話を切った。

*****

 シュンが搬送された「病院」についた。

 受付で ” 同居家族 ” である旨を伝え、病室の番号を聞き出した。彼は現在、709号室に入院しているとのことだった。
 エレベーターがなかなかやって来ず、つい苛立いらだってしまった俺は、階段を駆けのぼって部屋へ向かうことにした。
 7階に着く頃には、だいぶ息が上がっていた。呼吸を整える間もなく、そのまま病室へと向かった。

 ドアをノックすると、白髪交じりの初老の男性が現れた。それがシュンの父親であることは鼻筋の通った顔立ちから、一目瞭然だった。

「失礼ですが、どなたでしょうか…」
「皆藤有季と申します。息子さんとは…」
「あぁ…」

 その男性は曇った表情を浮かべた。

 以前、シュンは自分が「同性愛者」であること、そして、彼のパートナーが「俺」であることを、自分の両親と妹にはカミングアウト済みだと言っていた。
 実際、彼の家族と対面するのはこの日が初めてだったが、ふたりの関係は了承されているものだと思い込んでいただけに、彼の父親に「あぁ…」と、深いため息をつかれるといった展開は、正直、想定外だった。

「申し訳ありませんが、今日はお引き取り願えませんか…」

 …、俺は耳を疑った。

 ここに来れば、当然シュンに会えるものだと、信じていたからだ。

 目の前の男性の背後からは、

「…、シュン、君…。ねぇ、シュン君。…、シュン君、シュン君、シュン君、シュン君!」

 と、膨らんだベッドに顔をうずめ、泣きながらシュンの名前をひたすら呼び続ける女性の声が耳に届いた。
 彼女はきっと、シュンの母親なのだろう。
 そして、その女性のかたわらには、ただ一点をぼんやりと見つめる、若い娘のシルエットもあった。

「すみません。今、シュンはどのような状態なんでしょうか…」
 と、たずねると、
「無関係のあなたに申し上げることは、何もありません」
 と、彼は言った。
「いや、でも、私とシュン君は、一緒に…」
 と、言いかけると、
「…、私はあなたの顔を見たくなかった。申し訳ございませんが、もうお帰りください」
 と言って、病室の重たい扉をゆっくりと閉めた。カチャっと、丁寧に鍵がかけられる音もした。



 俺はしばらく、709号室のドアの前に立ち尽くしていた。

 どうして…、どうして、こんなことになってしまったのだろう。どうして俺は今、シュンと会うことができないのだろう。会ってはいけないのだろう。

 これがシュンとのながの別れになることを、彼の母親のあの狂乱ぶりが、正しく証明してくれている。
 だから…、本当は、本当は目の前の扉をぶっ壊してでも、この部屋の中へ入らなければいけないことを、俺は完全に理解している。
 大声を張り上げてでも、病院から摘まみだされそうになったとしても、絶対にそうするべきなのだ、ということも。

 けれどもこの扉は、きっと、もう永久に開かない。

 シュンを育てた男の存在は、遥かに高く、果てしなく遠く、頑強過ぎる一枚岩だった。



「こっちです。こっちです。氷室くんの部屋は、こっちですよ」
「ああ、わかった。わかったから、ちょっと待ってくれ…」

 黒いスーツを着た二人の男性と廊下ですれ違った。一人はシュンと同年代の青年、もう一人は小太りな中年男性で、その声の周波数はどこかで聞き覚えのあるものだった。
 彼らは709号室の前で立ち止まり、そっと扉をノックした。

 中から出てきた初老の男性にお辞儀をし、軽く言葉を交わした後、二人は部屋の中へと入っていった。

*****

 翌日、再び病院を訪ねると、シュンが亡くなった、という事実を告げられた。

 昨日は、朝からずっと雨が降り続いていたのだけれども、小康状態になった夕刻、家族3人と牧師に看取られながら、そっと息を引き取ったという。

 彼の突然の死に、俺は取り乱すことも、泣くこともしなかった。何もしゃべらなかったし、無理に笑うこともしなかった。

 ただ、ひたすら、モノクロームの青空を仰いだ ―。

*****

 彼の葬式は、親しい間柄だけで厳粛に執り行われたという。

 という、と言ったのは、俺が式に呼ばれたり、葬列に並んだりするようなことは、まったくなかったからだ。
 厳密に言うと、式場へは足を運んだのだけれども、会場の中には入れさせてもらえなかった。

 シュンの母親に、

「あなたの存在はとても迷惑なんです。あの子も亡くなったのですから、もう私たちに一切、関わらないでください」

 と、きっぱり断られてしまったのだ。

「お母さん、ちょっと言いすぎ。いいじゃない、献花くらいしてもらったって。そのほうが、お兄ちゃんだって嬉しいと、私は思う」
 高校生くらいの利発そうな髪の長い少女が、真っ赤に目を腫らした母親をたしなめるように言った。
 この子はシュンがとても可愛がっていた、年の離れた妹だった。
「お引き取りください」
 と、強い口調で母親がそう言うと、
「ちょっと、お母さん!」
 と、娘が叱った。俺も「どうか最後にひと目だけでも会わせて欲しい」と懇願したが、
「警察を呼びます」
 と、すごい剣幕で言われてしまい、もう、その場を立ち去るしか、すべはなかった。

*****

 教会に響き渡る荘厳なオルガンの音色を、喪服姿の俺は、敷地内の階段に腰を掛けて聴いていた。

 あれは確か『讃美歌405番』の旋律…、だっただろうか…。

 俺はクリスチャンではなかったけれども『神ともにいまして』の歌詞をおぼろげに記憶していたこともあり、

「荒野をゆくときも、嵐吹くときも、ゆくてをしめして、導きたまえ、主よ…」

 と、祈るように、呟くように、小さく口遊くちずさんだ。

*****

 シュンの葬儀から数日後、スマートフォンに知らない番号からの着信履歴が残っていた。
 その番号に折り返してみたところ、電話の主は、なんと彼の母親だった。

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