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【絶望三部作】『Evermore』第1章:いざ、イタリア ①(第3部:イタリア旅行記)
これが…、『最後の晩餐』か…。
ルネサンス期の巨匠「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が描いたテンペラ画を目の前にした瞬間、俺の口から感嘆が零れ落ちた。
イタリアの「ミラノ」にある、外界から切り離された孤島のようなカトリックの修道院の静寂の中、俺はただひたすら、永遠を見つめていた。
隣でこの壁画を鑑賞していた、シュンは…
― もしかして、泣いているのか?
*****
その年の梅雨の晩、グレゴリー・ペックとオードリー・ヘップバーン主演の不朽の名作『ローマの休日』の鑑賞後、反射的に、
「…、ローマに行ってみようか?」
と、俺が口にした言葉をきっかけに、シュンと数日間の「イタリア旅行」へ、出かけることになった。
201X年、10月上旬。
羽田を出発したルフトハンザの旅客機は、ミュンヘンを経由し、ナポリのカポディキーノ国際空港へと向かっていた。
約20時間のフライト(トランジット含む)は、中年の身体には堪えた。ナポリに到着する頃には、首や肩や腰など身体のあちこちが痛くてしょうがなかった。
シャンデリアの光の粒を散りばめたようなナポリの街並みが航空機の窓から見えた。
シュンは熱心に一眼レフでこの街の夜景を写真に収めていたのだが、唐突に「肉眼に焼き付けたい」と言って、カメラのファインダーから目を外した。
そうそう、それでいい。
美しいこの街の夜景を、ふたりで一緒にこころに刻もう。
永遠に色褪せないように。そして、悔いなく、死ねるように。
*****
「有季、早く ” スタジアム ” 、観に行こうよ!」
翌朝、俺とシュンは、南イタリアを代表する都市遺跡 ” ポンペイ ” を訪れていた。
考古学に興味のあったふたりにとって、この世界遺産は是が非でも足を踏み入れておきたい場所だったのだ。
「分かった、分かった。その前に ” アポロン神殿 ” と ” スタビアーネ浴場 ” も忘れずに見ておこう」
澄み切った秋空は一面、シアンだった。その青に、この遺跡を後世に残した ” 張本人 ” がくっきりと浮かんで見えた。
ポンペイが世界遺産に登録されたのは、1997年のこと。
遺跡の一部分は崩壊の危機に瀕していたけれども、壁や柱には鮮やかな色彩や複雑な模様が残されていたし、床に描かれたモザイク画は観光客の好奇心をつかんで離さなかった。五体満足なブロンズ像とも出会えた。
その保存状態の良質さに、この都市が一度、歴史から葬り去られていたという事実に、改めて驚かされた。
そうそう、シュンがしきりに ” スタジアム ” と呼んでいるのは「アンフィテアトルム(円形劇場)」のことである。
同タイプの建造物としては、ローマにある「コロッセオ」の方が有名だが、ポンペイの円形劇場は、現存する最古のものとして知られている。
その遺跡へ会いに行くためには、アボンダンツァ通りという、ポンペイのメイン・ストリートをひたすら北東に歩かねばならない。
マンモスの臼歯のような石畳状の通りはつるつるとしていて、歩きにくいこと、この上なかった…。
「スタジアム、大きいねぇ。立派だねぇ…」
アンフィテアトルムに辿り着いたシュンは、その雄大な歴史に、優雅なため息を漏らしていた。
この劇場は権力者の余興のために、奴隷たちが剣を振りかざして死闘を繰り広げる ” 見世物小屋 ” でもあったそうだ。
遺跡の周りを歩きながら、そっとまぶたを閉じてみると、二千年前、このスタジアムへと足を運んだ数千人の歓声や剣闘士たちの雄叫びが聞こえてくるような気がした。
そして、俺は、” ヴェスヴィオの悲劇 ” とは無関係に亡くなった者たちの魂を偲んだ。
アンフィテアトルムからの帰り道、「逃亡者の庭」という、観光ルートからはずれた、ひっそりとたたずむ ” 名所 ” に立ち寄った。
そこには、ヴェスヴィオ火山の大噴火による犠牲者たちの ” 最期の瞬間 ” を再現した石膏像が数体、ディスプレイされている。
仏になりたての生々しい、リアルな石像群に、俺は戦慄を覚えた。
怯え、うろたえ、絶望、そして、諦め…。焼けた火山灰に覆われた冷たい最期がそこにはあった。
だが、不思議と安らかな表情を浮かべている者もいた。犠牲者同士が固く手を繋いだままの石像もあった。
「…、これは ” 最期 ” の瞬間を切り取ったものではなく、彼らがどう生きたかを示した戒名のようなものなのだと思う。だから、むやみに怖れたり、憐れんだり、哀しんだりしてはいけないのかもしれない…」
シュンは暗い瞳を足下に落とし、ひとりごとのように語っていた。
なんとなく俺もそんな風に思えてきて、切ない思いが胸にぐいぐいと波のように押し寄せて来るのが分かった。
そのあと、しばらくふたりは言葉少なに、アボンダンツァの帰り道を歩いた。
悲劇の古代都市という顔を持つ一方、ポンペイは、” エロスに寛容な都市 ” であったことでも知られている。
遺跡内には「娼館」が現存し、それはラテン語で ” 売春宿 ” を意味する「ルパナーレ」と呼称されている。
メイン・ストリートから離れた路地裏に不自然な人だかりができているところは、たいてい「ルパナーレ」だったりする(結局、” 下ネタ ” は人類共通の最強コンテンツなのだなぁ…)。
猫の額ほどの狭小空間にベッドルームが3つ並び、室内の上部には、おあつらえ向きに ” 行為 ” を如実に描いた壁画が遺されている。
「あのさ、有季…」
「…、ん?」
「ポンペイの人たちは、こんな狭いスペースで、ヤッてたってことだよね?」
興味津々に、シュンが聞いてきた。
俺は適当に「うんうんうん」と、うなずいて、彼の話をそれとなくスルーした。
無骨なあしらいにもめげずに「僕、ポンペイで ” 風俗デビュー ” しちゃったよ…」と、彼は真剣な顔でそんな感想を述べていた。
やっぱりシュンって面白いやつだな、と思った。
ふたりは最後に「秘儀荘」と呼ばれる遺跡に立ち寄った。
その場所には、硫化水銀を含んだ ” ポンペイ・レッド ” と呼ばれる赤い塗料をベースに描かれた鮮やかな壁画が残っている。
グラフィックデザイナーとして働いているシュンは、そのアートの妖しげな赤銅色にひどく惚れ込んでいるようだった。
壁画の題材は、宗教上の「秘儀」だと言われているが、なんだか俺にはあの世の様子を描いた絵巻物のように思えた。
ポンペイは、” 悲劇の舞台 ” だけがその本質ではなく、むしろ、華やかで、ミステリアスで、官能的。そして、ヒューマンにあふれる、栄華を極めた楽園だった。
この地を実際に訪れなければ、その情緒が生々しく五感に落とし込まれる感覚はきっと得られなかったであろう。
俺もシュンも、ポンペイに抱いていた固定観念は、気高く海馬に上書きされた。
*****
ナポリへ戻り、シュンが切望していたマルゲリータ発祥の地と噂されるトラットリアで、本場のピッツァをたらふく食った。
俺もシュンも、葉っぱを食べる青虫のように、もぞもぞと集中してトマト香るマルゲリータを食べた。
白ワインを飲み、ほんのり顔が赤らんだシュンと一緒に、ナポリ中央駅から高速鉄道に乗って、ふたりは「ローマ」へと向かった。
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