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【今週聞いたこと】こういう世の中だからこそ、余計に、真っ直ぐな気持ちが刺さるのかな

今週金曜日、デンマークでは、小中学校の終了式(実際は式という式はないけれど)。今日から待ちに待った夏休み。いいなー、羨ましすぎる。

今週、ラジオを聞いてて、ハッと腑に落ちた言葉。テーマは、今のデジタル社会についてだったのだけれど、その中で、哲学の教授が言ったこと。

世の中の人々は、今、事実と戦っているわけではない。事実かどうかは関係なく、自分たちにとって都合かいいかどうか、自分たちが受け入れたい事だけに戦っているんだ。

DRラジオ番組「Udsyn」より

以前記事にも書いたが、事実が何なのか、一層見えなくなっている今、逆にどう事実と戦うんだ、とも言えるし、また、自分たちの都合のいい事しか主張しないからこそ、事実が何かが分からない、ということも言える。

今のデジタル社会の功績の一つとしては、既存の社会では出来なかった、(一部の、または抑圧された)民衆の声を世に出すこと。世界的な事例で言えば、アラブの春や、Me TooやBlack Matterなどなど。また、民衆の声と同時に、民衆裁判(正確な日本語訳が分からないのですが、ここで意味するのは、裁判所とは別に、世の人々が勝手に善悪を判断し、悪と判断されたら、その人(または会社)は社会的にほぼ復帰不可能)をも動かす。

事実と主張。同じかもしれないし、違うかもしれない。でも、主張は、事実
かどうかの他に、自分の信じたいこと、でもある。じゃあ、正しさって何だ。正しさって、結局主観なのでは?民衆が動くときは、正しさを求める時だとすると、納得がいく。一つしかない事実ではなく、複数ある正しさ。だからこそ争いが起こる。

今や、各個人の善意のみでようやく保っているような気もするデジタル社会。この教授の言うことには、このデジタル社会の中で、デモクラシーを保つ為には、結局対話しかない、のだそう。意見が対立した時、なぜ相手がそういう意見を持っているのか、理由を知ること。理由を知ろうとする中で対話が生まれる。そこから見えてくるものもある。意見の対立はあっても、民衆が対立して孤立化してしまえば、国が成り立たない。

こんなにも、色んな意見が存在し、自分以外の意見を拒絶し悪意をあらわにする人々がいて、間抜けな私は今日も、会社で的外れなこと言って赤っ恥かいて浮いてる中、先日、息子のサッカークラブのコーチアシスタントが出るサッカーの試合を見に行った。

その子、てっきり成人してるかと思ってたら、まさかの15歳。まだ中学生だった。
アウエイでの試合、前半は2−2。
審判の質が悪いことはよく聞いていたが、この試合も最悪な審判で、完全にファウルじゃないのに、何回もファウルを取られていた。後半は、2回も意味不明なペナルティーキックで得点された。(もうここまでくると、相手側に買収されてんの?と言いたくなるくらい。)
それに加え、試合を見にきてる相手チームの地元観客のアホな若造たち、悪質なヤジを飛ばし過ぎ。
こんな中、チームの士気がだだ下がりなのが、手にとるようにわかった。
その時、そのアシスタントコーチの彼(このチームでは、単なる1選手)が大声で叫んだ言葉。

この試合、絶対勝つぞ!

自分のチームが、スローインの時に、彼が、チームのみんなに向かって叫んだんです。俺ら勝ちに行くぞ!って。

審判の誤審続きでも文句言えないフラストレーションの中、相手の観客にヤジや失笑を飛ばされる中、リーグ戦の最終順位を決める大事な試合の中。

そして、勝ちました。

実際何が勝利の決め手になったかは、素人の私にはわかりませんが、私には、この彼の言葉がずっと頭に残ってます。

絶対勝つぞ!

私が歳を取って涙腺が弱くなってるのもあるし、人生に疲れてるオバサンってのもあるけど、こういう言葉、こういう人、世の中に必要ですよね。

真っ直ぐなことば。

たまたまこの試合を見に来て、試合に勝ったことよりも、この彼の一言入魂的なことばを聞けたことが一番感動した。
息子のチームや、この彼のチームなり、経済的・社会的損得関係なく、ただただ、試合を一所懸命頑張って勝ちたい、というただそれだけの真っ直ぐな気持ちで、本当に必死に走り回っている姿を見て、毎回、涙が出そうなのは、上っ面ばかりの社交辞令や何かしらの利益損得、対立する相手への悪意、ひいては差別・犯罪・戦争、などなどドロドロした世の中に疲れてる証拠なのかな。

こんな、曲がりに曲がった世の中だから、真っ直ぐな言葉は刺さるのだろう。

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