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世界はうつくしいと
「うつくしいものの話をしよう。」から始まるこの詩。長田弘さんという方が書いた詩。全部ここに載せていいのか分からないので、最後の一文だけ。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。
今まで生きてきて、初めて詩を読んで泣きそうになった。
私は「いつか」という言葉が大好きだ。縋るような希望でもあり、励ましでもあり、感傷的でもあり、でも逃避ではなく向き合うからこその決意でもある。(という、私の勝手な解釈だけど)
この詩の私なりの超解釈をすれば、
忙しなく過ぎていく日々の中でこなしていくルーティンや日々流れてくるニュースなどではなく、束の間に見た青空、新芽がつきだした通勤途中の木、など一つ一つのそこにある自然にも目を向けるべきだ、と。
私たちは自然と共に生きている、というより、自然の中に生きている。私たちと自然は対等ではなく、私たちは自然の中の一部にすぎない。有限だから、終わりがあるから意味がある。人生も、終わりがあるから意味があるのだろうな。
最近、二つの別々のラジオ番組で、全く違うテーマを扱っていたんだけど、二つをまとめると、こんなようなことを言っているのを聞いた。
人は一生の中で、ゆっくり自分を見つけていく。学校生活という制約(ここでいう「制約」は悪い意味ではなく、自分だけで決められることが少ないという意味)の中で過ごし、仕事という新しい世界に飛び込み、家族を持てば子育てというまた制約の中に入り、その過程をくぐってきて、ようやく、自分とは何か、好きだと思うもの、心地よいと思うもの、自分のことがわかってくる。そして、なんのしがらみも無くなった時には、自分のしたいことしかしないのだから、そこで自分のことがより深くわかってくる。
今の若者が大変なのは、まだ人生が始まった段階で、自分を見つけないといけないというプレッシャーがあるからだ。
若者が自分が何者かを探し迷うのは性であり、今も昔もそれは変わらないと思うけど、今は圧倒的な情報量がより困惑や困難をもたらしてるのだろうか?
例えば、ソーシャルメディアには、若くして何かを成してる若者たち、自分には無い何かを持っている人たち、が溢れている。頑張れば何にでもなれる、可能性は無限大、という言葉がどこにでも貼ってあるけど、具体的な方法は誰も教えてくれない。
とはいえ、若者と一括りにしても、いろんな人がいるし、状況も精神状態も人それぞれだろう。それは年齢に関係なく言えることで、若くても自分の道を見つけて進んでる人もいるだろうし、40過ぎても毎日恥をかいてクタクタになってる私みたいなおばさんもいるだろうし。ただ、どんな道を選んでも、どんな状況にいても、この詩が言うように、ふと立ち止まって側にある自然を見てみるのも大事なんだろうな。
人生の半分を過ぎて、自分が分かってきたのか、諦めてきたのか、まだ迷走中なのか、それも分からないけど、素敵な詩に出会えてよかった。
ちなみに
先日ラジオで流れた、一週間分のメニューと材料を定期購入を販売する会社だったと思うけど、その会社のコマーシャルで、「毎日のメニューを考えて決めるのは人生の最大の試練の一つだ」みたいなことを言っていた。確かに、メニューを考えるのは面倒臭いことではあるけど、そんなのが最大の試練の一つなら、なんて楽勝な人生なんでしょうね。
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