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ターミナル支援を通して得た新たな気づき。

どーもカイゾウ(@kaizo777)です。

今回は「ターミナルを支援していて得た新たな気づき」について書いてみたいと思います。

私は今「がん末期」の方の支援に関わっています。

余命3カ月と言われている方を1カ月ほど前から担当させて頂いています。

訪問した当初はご本人も会話が出来ていて自分のことをしっかりと伝えてくださっていましたが、ここ数日はほぼ寝たきりで訪問しても虚ろな表情で会話も難しい状態です。

奥様・子どもとの3人暮らしですが、子どもは一切介護に関わろうともしません。

なので、基本的にはご夫婦二人で住んでいるようなもの。

ご本人も奥様も子どもには頼る気もなければ「いないもの」と考えているようにも見受けられます。

訪問初日。
「最期をどこでか迎えたいか」私は率直にご本人と奥様に聞いてみました。

初めに答えたのは奥様。
「私は排泄の世話は出来ません。自分でトイレに行けなくなるか食事が摂れなくなったら病院に入院と考えています」

ご本人は
「母さんには迷惑かけられないからな。俺もそう思ってる」

そうして始まった「ターミナル支援」

先日ほぼ寝たきりになったご本人の今後の支援について「担当者会議」を開いた際に奥様の口から出た言葉に「そういう価値観の方もいるんだ」と気づかされました。


自らトイレに行けなくなったご本人



最近までトイレには何とかご自分で行かれていたご本人ですが、麻薬を使った疼痛緩和や体力の低下もあり、ここ数日夜間にトイレに行く途中で転倒を繰り返しました。

訪問看護が急行して支援してくれましたが、ご本人は転倒したことに不安を覚え、奥様が「トイレに行けなくなったら…」と初めに言っていた「入院」が近づいている状況になりました。

主治医からは「今日も意向がハッキリと確認できないから関係者からも聞き取りをお願いしたい」と訪問看護を通して連絡がありました。

私は自宅へ訪問しご夫婦の意向を再確認。

そこではご本人はご自分の意見をハッキリとは言いませんでした。

奥様は
「本人は出来る限り家にいたいと思う。私も入院したらもう会えないと思うからギリギリまで家にいさせてあげたいとは思うけど…。排泄の世話はどうしてもできない」と。

ここで私は「本人は出来る限り家にいたいと思う」と奥様の口から聞かれたことに注目しました。

これまでハッキリと答えなかった意向が現れたからです。

ここで「家にいる為には」をご夫婦に投げかけました。

特に奥様に「排泄の世話をしなくても自宅にいる手段」をお伝えしました。
それでも奥様にはそのイメージが湧かないようで「とにかくギリギリまでは自宅で過ごさせてあげたいけど…」と返ってくるだけ…。

正直年末に差し掛かり、ギリギリになって「入院したい」と言っても病院がそのタイミングで受け入れてくれるかどうか…。

もし受け入れてくれなかったら、ご本人も奥様も「自宅で看とる」覚悟のないまま不安を抱え自宅で過ごすことになる。

そう思った私は訪問看護を中心に、自宅で排泄支援を手伝ってもらう為に訪問介護にも依頼をして「担当者会議」を開催しました。


妻の本音


担当者会議の場。

夜間に転倒を繰り返したことでご本人はトイレに行くことに対する恐怖心と身体の倦怠感から「ベッドで過ごしたい」と答えました。

奥様は「それでも今はトイレに行きたければ行こうとするけど私が身体を支えることは出来ないしおむつ交換をすることも出来ない」と。

そこで訪問看護や訪問介護から意見を聞きつつ「排泄を尿瓶とおむつ対応」に完全に切り替えご本人にはトイレに行かずとも済む方法を提案しました。

ご本人は「そうだね。その方が良い。分かった」と。

それでも妻はどこか浮かない表情。

「奥さんは何が不安??」と私は聞いてみました。

すると奥様から「私の周りや親の時も、トイレに行けなくなったり、家族が介護できなくなったら病院へ入院って思ってた」と。

要するに知人の経験や自分の親を家族が看ていた時は、自分で出来ることがなくなったら病院へ入院して最期を迎えるものだと「思い込んでいた」と言うのです。

話を聞くと「介護保険」が出来る前の話。

「その時代」のイメージで現在も考えていたので、夫がトイレへ行けなくなり自分が介護できなければ「入院しかない」と思い込んでいたようなのです。

奥様は年齢的なものやパーソナリティの問題もあり元々「理解力」が乏しい面がありましたが、今回「一般的な考え方」を自分達に当てはめようとしていたことに気づきました。

「自分達がどうしたい」ではなく、「世間一般的には」を優先する方がいる。

私はここに気づかされました。

私はすかさず「奥さん本当はどうしたいの??」ともう一度確認すると「そりゃお父さんが家にいたいって言っているし、私も会えなくなるのは寂しいからね~…」と、やっと本心を口にしてくれました。

「今のその気持ちがまた変わっても良いし、本当に難しいと感じたらすぐにここにいる誰か(訪問看護・訪問介護)に伝えて貰えば良いからまずは自宅で最期までいられるようにやってみますか??」

そう問いかけると「そうね」と奥様。

ご本人は麻薬の副作用もあり虚ろな状態ではありましたが、声を掛けると「そうしてくれ」と。

訪問看護で週3回の体調確認や清潔保持を支援し、訪問介護では毎日朝・夜のおむつ交換と訪問看護が介入しない曜日の昼にもおむつ交換に来てもらい自宅での生活を継続することになりました。


「世間一般」の価値観を優先する人



私の中では「どんな人でも最期くらいは自分のやりたいことを選択するもの」だと勝手に思い込んでいた節がありました。

しかし、「世間一般」の価値判断を優先し自分達の意見を言わない人がいることを今回の支援の中で学ぶに至りました。

言葉での提案ではイメージが出来ず、「自分達が出来るか」理解が出来ない。しかも世間的には「入院」をする人が多いのであれば「トイレに行けなくなったら」と判断する方もいる。

そう考えるとターミナル支援において「如何に本心を聞き出せるか」が絶対的な「肝」であり、「この人は本当はどう思っているのだろう?」を常に観察し続ける大切さに改めて気づくことが出来ました。

現在進行中の支援なので最期がどうなるかは分かりません。

しかし、このご夫婦が後悔少なく「良い最期だった」と少しでも思って貰えるように私も全力で関わりたいと思っています。


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