親との同居と掃除
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今日は土曜日なので今思っていることをツラツラと書いてみたいと思います。
記事の最後には今週の記事まとめを貼りますので、宜しければそちらだけでも見て頂けると嬉しいです。
私の土曜日の朝のルーティンは決まっています。
7:00に起床し母親を病院へ送迎してから帰宅して家の掃除をする。その後noteを書くまでが毎週土曜日に決まったルーティンです。
今日はその中で「掃除」について思うことを書いてみたいと思います。
私の家は決してキレイな家ではありません。至る所に物は置きっぱなし。私の部屋は比較的整理がされている方だと思いますが、一歩部屋を出れば雑然としています。
それも母親がすぐにモノを置きっぱなしにするから。
私がキレイに片付けても一週間もすれば出来たスペースには物が埋まります。
母親の薬だったり、買って来たお菓子だったり、使いかけの調味料だったり…。
同居を始めた当初は注意をしていましたが、今は何も言いません。
私が言った所で体調や年齢を言い訳にして自分が「やっている」アピールをされて終わりなので正直面倒くさい。
だったら私が気になった所だけでもキレイにして後は放って置く。
また汚れれば私が片付ける。そのいたちごっこで良いと思うようになりました。
どうして「それで良い」と思えるようになったのか。理由は3つです。
親と言えど価値観は異なる
親と言えど人は変えられない、変えられるのは自分だけ
体調、体力、年齢によって出来ないのは仕方がない
①~③を腑に落とすことが出来たので「言うのを」止めました。
当たり前ですが私が思う「キレイ」と親が思う「キレイ」は異なります。であれば私の思う「キレイ」に合わせさせるのはエゴなのかなと思うようになりました。
人を変えることは親と言えど不可能で、心から自分で「変わりたい、変わろう」と思わなければ誰に何を言われても人は変わらないと思うようになりました。
そもそも自分がしたいことなのであれば、人に動いて貰うのではなく、自分が動けば良い。その姿を見せて人が変わるのであればそれが理想的なのだと思います。
一番は母親の言う「体調や体力、年齢」によって「やりたくても出来ない」という気持ち。
正直少し前まで私は「やろうとしないから出来ない」と思っていたのですが、目に見えて弱ってくる母親を見ていると「やりたくても出来ない」のは本当なのだろうと感じるようになりました。
正直「甘え」でそのようなことを理由にやらない高齢者もいると思います。
「出来そう」なのか否かは、その人の持病や性格、生き方などで変わると思うので「言った方が良い」人なのかそうでないのかは見極める必要があるとは思います。
とは言え、自分の親には厳しくした方が良いと思っていた私も「歳を重ねる」ということの意味が分かる年齢に私自身なってきました。
「生活を共にする」というのは「自分のエゴ」を理解する所から始まるのだと思うようになりました。
この記事を書いたら朝のルーティンは一段落。今日は天気が良いので外出して、明日から主任ケアマネ更新研修の動画視聴を頑張りたいと思います。
では良い休日を。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。