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私が写真を仕事にした理由、今撮る理由。SONO2

前回の話はこちら

〜3行でわかる前回までのあらすじ〜

まりあ、絵を描くのめんどくさい(高校時代)
→写真、撮るの楽チン、楽しい、君に決めた
→写真の専門学校楽しい←イマココ

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お仕事してる人に教えて欲しいです、なぜ、その仕事をしますか?

私は仕事に関してこの理由は簡単でした。
でも、仕事をするうちに自分の作品制作に対してその「なぜ?」が若干わからなくなってきたのでした。そんな今回のお話です。

専門学校時代、作品をたくさん作っていたのは恐らく脳みその代謝が良かったことと、何か賞をとりたい!有名になりたい!という思いがあったからのように思います。
当時、エプソンカラーイメージングコンテスト、ミオ写真奨励賞、写真新世紀などたくさんの魅力的なコンテストがありました(現在残ってるのは新世紀だけっすね)。しかも当時学校のアシスタントをしていた先輩が新世紀に入賞したりしていてそれはとても身近なことで手の届きそうな夢でした。
残念ながら、在学中にそういった大きな賞を取ることはなく、二年生の夏休みから働き始めたスタジオで仕事をしつつ作品も撮り続けてました。(ごっついMamiyaRZ67とかで)

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↑あ、めっちゃ高くなってる、、売ろうかな(2万ちょいで買った記憶)
と思って久しぶりに出してみたけど、底の劣化した部分にテープ貼ってたりしたのでもう少し手元に置いておこう。久しぶりにあのファインダー覗いたけどやっぱりめちゃくちゃうっとりします。

まず先に私がスタジオでどんな仕事をしていたのか。

メイクのサロンが併設されたスタジオで、いつもよりおめかしした人を一番よく撮る、という仕事でした。職人的なところもあり楽しかった。
その人の一番綺麗な姿を探して撮ってお互いにテンション上がる、という。
最も需要があったのは証明写真(特にエアライン系受験用)とお見合い写真(よくドラマとかで出てくるような台紙に貼られた着物の写真とかではない。もっとカジュアルで可愛いのだ、最近のお見合いは。)で、時々、音楽家さんとか経営者のプロフィール、家族写真、成人式といった記念撮影などなど写真が必要な個人に向けた仕事でした。

写真の専門学校で恐らく最も多い就職先は東京のスタジオ(それこそ雑誌とか広告とか撮るやつ)のアシスタントでした。そこで二年ほど修行して誰か写真家に弟子入りしてそこから仕事をもらえるようになって華々しく写真家デビューというのがメジャーと当時は言われてました。(今は絶対そんな昭和な方法取らなくても頭使えばいくらでも方法あると思う)しかし、それだと「撮る」仕事に行き着くまで時間がかかりすぎるんですよね。
私はなる早で撮りたかった&東京行きたくない、で関西でこの仕事についたのでした。
何より、長く愛されるものを撮りたかった。広告の写真って華やかな仕事だしお金もかかってるしかっこいいけど、数ヶ月も経てば消えてしまう。でも家族写真とか自分の写真は何年も残してもらえる。人に喜んでもらえるのが目の前で見える、そんなやりがいのある仕事でした 。

じゃあ私の作品は、、?

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私が撮ってた作品はやはりポートレートが中心で、モデルをしてもらった当人たちには喜んでもらえるような作品のスタイルで、それは嬉しいしいいものが作れたな〜という思いもありつつ、でも作品となった時に誰かの生きるために役に立つのかな?と時々考えていました。
妹も同じ高校に進学したのだけど、彼女は陶芸の道に進んで。陶芸は縄文土器もあるように凄く歴史が長いし(写真の歴史は100年ちょっと)器とか人の生活に寄り添うものを作品として作れるから、その方が人の役に立ててるよなあ、と。

でも、仕事をしながら作品を作り続ける中で、ずっと持っていた一つの目標がありました。

それは写真集を作ること。

丁度、ZINEが凄く流行り始めた時期でもあって小冊子という形での作品集を個展に合わせて作ったりしました。(個展は三回ほどしたことがあってそのこともまた別で書きたいと思います、、!)でもちゃんと本にしたいな〜とずっと思ってて、リトルモアとかAKAKA舎とかで作ってくれないかな〜とうすらぼんやり夢見る日々でした。
そんなある日。
なんやかんやで受賞して写真集が作れることに。

だいぶ話は端折りますが、本になりました。(今はもう売り切れてるらしい、、??です)
形になってめちゃくちゃ嬉しかったと同時に
ずっと追いかけてた夢を叶えてしまって、完全にモチベーションを失いました。(その先をあまり考えてなかった)
(実は去年くらいからもう一回写真集作ろうとしてたのですが、考えれば考えるほど目的がわからなくなってきていて、紙媒体で作るかは謎です)(ウェブ書籍では考え中)(なんせ製本するのってお金かかるのだ!!)
写真集のために作品を撮り続けていたこともあり、ふっと気が抜けてしまい、私の「作品」を通して、どうやって人の役に立つか、これだ!というものが思いつかなくて。

それで(他にも様々な要因とタイミングがあり)二年ほど写真を離れて、撮ること、より目の前の人に向き合うこと、に集中した期間を経て今また写真の仕事に戻ってきて。
今、その作品を作る時に生かしてた自分のスタイルを個人の撮影にも当てはめるように撮る商売にシフトして、フリーランスになって。今、それを「とるではなく、与える写真」って名付けて。与える写真ってなんだろう、ということはまだまだ考え中です。
神様のことは信じてて、尚且つ私たちはみんな神様の子って信じてるので、神様が私たちを見るようにその人を見れたら、撮れたらいいな、とそう思ってます。
親が子を見る、のもっと凄いバージョン。それって凄くない!めっちゃ美しいで。

絵を書いていた時に「なかなか画風が固まらない」と先生に言ったら「今固まったら怖いよ笑」と言われたことがあります。今もずっとそう。考え続けていて、さらに良くなりたいと思っている。

と、いうことで凄く中途半端に終わってしまうのでした。
今はまだ、旅の途中ってやつです。

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