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バリアフリーとは?


 バリアフリーとは、バリア(障壁)が取り除かれた状態のことだ。ではバリアとは何か。
 まず、多くの人が最初に思いつくのは、建物や道路にある段差ではないか。私は電動車いすを使用しているが、5センチメートル以上の段差が1段でもあれば、安全に超えることはできない。これがバリアだ。または、狭くて入れない通路もそうだ。これらは「物理的なバリア」と呼ばれる。
 もう1つは「社会的なバリア」がある。私は志望の高校から、受験・入学を拒否された。それは車いすが必要なほど重度の障がい者は、入学させないという国の法令があったからだ。この法令こそ社会的なバリアの例である。

 基本的には、バリアフリーにはこれら「物理的」と「社会的」の2つしかない。バリアフリーという言葉が国際社会に注目された初期のものに、国連の「バリアフリーデザイン」*1というリポートがある。これが定義づけるうえで最も参考になる資料だと思うが、この中ではバリアフリーデザインというリポート名が示すようにほぼ「物理的」な意味で扱っている。その他には、「社会的」なバリアについてのみ明確な記述があり、内容的にもこの2つのバリアがすべて網羅していた。

 大辞林では、「高齢者や障害者が社会生活を送るうえで、障壁となるものを取り除くこと。当初は、道路や建物の段差や仕切りをなくすことをいったが、現在では、社会制度、人々の意識、情報の提供などに生じるさまざまな障壁をふくめて、それらを取り除くことをいう。」と説明している。
 ここで「社会制度」は前述の学校の制度や、障がいを理由に医師や看護師などの国家資格をとれない欠格条項*2もこれにあたる。
 「人々の意識」とは、例えば、障がい者はうまく演奏できないという意識があると、そういった人々は演奏を依頼する必要があっても、障がいをもつ人には依頼しないような場合だ。私が主宰してきたゴールドコンサートは、このような「人々の意識」にあるバリアを取り除くための活動だ。これらは、「社会的」なバリアである。
 「情報の提供」は、手話通訳、パソコン文字通訳、点字翻訳、読み上げ機能など聴覚、視覚に障がいを持つ方のためのサービスの不提供がバリアに当たる。これは、このバリアのためにコミュニケーションが実際にとれないので、「物理的」なバリアである。

 日本人はこの「バリアフリー」という言葉がとても好きだが、かなりあいまいに都合よく解釈して、本来の意味からかけ離れた使い方をしていると思う。
 そこで、私がカリフォルニア大学バークレイ校の公共政策の修士コースで学んだことや、国際会議で出席したり発表したりする中で得た経験から、バリアやバリアフリーという言葉を次のように定義して、今後このNoteを含め発信するときの基本としたい。

「バリアとは、それがあるために障がい者や高齢者が、実際に具体的な不利益を受ける物理的、社会的な環境であり、無形のものであっても明確かつ顕在化している。バリアフリーはそれを取り除くことを意味する。」

 日本では国が推奨して「こころのバリアフリー」という言葉をよく使う。私はこの言葉は使い方がおかしいどころか、バリアフリーの本来の意味を歪め、むしろバリア(障壁)を増大させてしまうと感じている。
 このことは次の機会にしっかりと論述したい。今回は、まずバリアフリーを定義づけた。

*1 Report of a United Nations Expert Group Meeting on Barrier-Free Design,
HELD JUNE 3-6,1974 AT THE UNITED NATIONS SECRETARIAT NEW YORK,
Published by Rehabilitation International as a project of the Decade of Rehabilitation

*2 障害などの理由で一律に資格や免許を与えないこと。日本では2001年まで存在し、障がい者の権利を制限した。


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