今、オタクはなぜ倫理的でなければならないのか

手の内を明かしてしまえば、これは「釣り」タイトルです。
この記事では、私たちが2020年から作っているアイドル批評誌『かいわい』新刊「特集 アイドルカルチャー・リイントロダクション」の解題を行います。なぜか、読んでほしいからです。なぜ読んでほしいか。それはこの新刊で中心的に扱っているテーマが昨今SNSを中心に広がりつつあり、思考の不均衡を招いているからと感じるからです。
さて、「今、オタクはなぜ倫理的でなければならないのか」は「釣り」タイトルでしたが、解題すれば、そのことには自ずから触れざるを得ません。どうぞそのまま先へお進みください。

鼎談 アイドル文化とは何か


アイドルについての同人誌でありながら、『かいわい』は特定のアイドルについて良いとか悪いとかそういった話をしたことは、ほとんどありません。私たちの関心は、「アイドル」をめぐる様々なやりとり──品がなかったり過剰にエモーショナルだったりする──の実際を、ある種の文化人類学的関心、または当事者研究的関心とでも言えるような仕方で語ることにあります。それは批評的なポジション取りのための方法論などではなく、私たちが居あわせた文化圏が、そうした方法によって語られることで、その文化に関わる深度が浅い人にも意味あるものとして聞き入れられる可能性を考えているからです。
そのために、『かいわい』は新刊に際してひとつの"再起動"を行うべきと判断しました。まず『かいわい』はどのような語りを行ってきたか、あらためて自分たちで振り返る必要がありました。諸企画・諸テーマはその都度の必然性によって動いており、また『かいわい』の視座を築く作業でもありました。
vol.1は年表や座談会によって2010年代というディケイドで、私たちが関わってきたアイドルシーンを概括して、最初の足場を設計しました。ここから編集部は「アイドル論」論・現場論・チェキ論へと三者三様の視点を提示し、続くvol.2ではアイドル文化当事者であるところのオタクたちのライフヒストリーを聞き取り、アイドルのパーソナリティーばかりが開示される文化の非対称性の回復を試みています。またvol.3ではあらゆる文化へと外縁を広げていくアイドルが現代美術と接合した、それ自体に批評性を持たせた展示「アイドライゼーション・ポイント」のアーカイヴを務める役割を果たしました。
新刊のvol.4では、こうした各号の変遷を追うなかで見えてくる様々なトピックへ、再び、あるいははじめて焦点を当てる座談会を行っています。前後半に分かれた座談会は、前半で浮かび上がってきたトピックを後半で「楽曲」「現場」「推し」と各項目へ再整理し、そこから話題を広げています。「生誕委員」をめぐるやり取りなど、おそらくはじめて活字になったような話題も含まれています。

アイドル文化のアンビバレンス

踊り子の宇佐美なつ、現代美術作家の岡田未知、アイドル/アイドルプロデューサーの服部真希。新刊の企画が練り上がる前、発想の起点となったのはこの座組です。それぞれが表現に携わり、かつアイドル文化に親しい三者の視点から、アイドル文化の両義性を描いてもらおうと考えました。ここに編集部の結城敬介を加えたそれぞれのエッセイは、硬質に過ぎない読みものとしても広くアプローチできると考えています。

両義性、これこそが「アイドル文化」の本質的なモードだと考えます。冒頭で、またタイトルで「倫理」と言った消費者の態度をめぐる昨今の盛り上がりは、アイドル文化の隆盛と反動的に生じた反省です。確かに、消費社会には構造的問題があり、誰しもが無辜ではありません。それはアイドルに限らず、飲食産業における動物の生命を扱うことの倫理的課題、服飾産業における経済後進国の搾取問題など、その他枚挙に暇がないほど、直ちに解決しなければならない諸問題があるでしょう。
他方で、「アイドルを消費する」ということの問題については、どこか判然としないものがある。この反省の具体性、つまり「解決」はどこに求められるのか。残念ながら、今のところ消費者の消極性に還元されるくらいしかありません。というのも、アイドルをめぐる「消費」の問題の多くは実際、消費社会の構造的問題とは別の水準にある「言葉」の問題でしかないからです。発言を慎み、そうでなければ言葉を選び、アイドルという他者へと関わっていく。それ以上のことはまだ言えていません。
またしばしば「加害性」として言挙げされる消費者のふるまいは、"加害"という事後的な法的処理の問題ではなく、加害"性"という予防的な道徳的問題として考えられています。誰かを傷つける"かもしれない"という、可能性への配慮です。もちろん、そうした配慮がいけないということではありません。むしろ必要です。ただ、それを言説として前景化しすぎるあまり、各々が各々の経験(コミュニケーションの失敗/成功)から切実なものとして掴み取るべき契機を奪いかねないという疑義を『かいわい』は提示しています。
そして、その疑義の提示の内実が「アイドル文化のアンビバレンス」です。"各々の経験(コミュニケーションの失敗/成功)"が、三名の外部寄稿者の文に実装されているのを読むことができるでしょう。
寄稿者へオーダーをしたときに強調したのは「アイドル文化の喜び」の面も描いてほしいということでした。それはもちろん、「アイドル文化にもいいところがある」などとして、負の側面と帳尻合わせをしようとしているわけではありません。
アイドル文化は根本的に欲望の場です。人と人がむき出しに関わる。そこには欲望が発生せざるを得ません。各々の欲望に火がつき、ままならない熱に浮かされて、前後不覚な行動や感情を伴ってしまう。それは一般的な社会規範からすればわけの分からないものかもしれないが、確かに喜びであるはずです。このことから目を逸らした当事者の反省には、なんの意味もありません。
また、こうした疑義をより直截に提示したのが編集部の古川智彬による論考「アイドル現場から暴投される言葉たち」です。論集『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』を念頭に、「消費」の「加害性」に自覚的である良心的なアイドル言説を、「倫理的転回」以後のアイドル論と名指したうえで、その問題点を指摘しています。論集の個々の文章への批判というよりは、そこで緩やかに共有されているはずの前提やスタンスに対する批判と理解していただければと思います。こうした批判を行うことによって、アイドルに関わる全ての当事者たちが、各々の欲望に向き合い、自らの特異的な倫理を練り上げていくきっかけになることを企図しました。

反動の楽曲派超入門 パロディ編 および アイドルオタクヒストリーアーカイヴ

前者は編集部タナカハルカによる連載企画です。少年時代からライヴハウスに出入りし、「現場」のコクと苦味を経験してきたタナカのアイドル文化に対する姿勢は、まさしく当事者的といえます。こちらは決して統一的な企画の一部として考えられたものではありませんが、あえて企まずとも、その文化を生きてきた者の視座が含まれるアイドル楽曲への誘いとなっているでしょう。そして、「パロディ」という言葉を選択した含意に、タナカの批評眼はあります。
また後者はvol.2より続く定番企画として掲載されています。プロインタビュアーの吉田豪は「二時間話せば誤解はとける」と語っていますが、人が長く話すということには、抽象的なテーマに収束できない"それそのもの"としか言いようがない全体があり、そこには他者への理解のきっかけが含まれているでしょう。
ちなみにこのnoteではタナカハルカのインタビュー記事をアップしています。


さて、「今、オタクはなぜ倫理的でなければならないのか」は「釣り」でした。この記事でその問いに答えることは少しもしていません。ですが、ここまで読んだ皆さんにとって、それは竜頭蛇尾のごまかしであったでしょうか。
いずれにせよ、私たちが望むのは『かいわい』というごく些細な小著を、インターネットでは満足できないあなたの手元に届けることにほかなりません。


『かいわいvol.4 特集 アイドルカルチャー・リイントロダクション』

価格:印刷版1200円/電子版(pdf)1000円
販売:BOOTH

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