アイドルオタクヒストリーアーカイヴ[番外編] - タナカハルカ

『かいわい vol.2』特集企画「アイドルオタクヒストリーアーカイヴ」の番外編として、編集部員タナカハルカのインタビューを掲載します。


【タナカハルカ】

──生まれ年と出身を。

 1999年生まれ。今年22歳。
 小学生まで足立区で育って、中2くらいから一瞬阿佐ヶ谷に来て、その後はずっと新宿で暮らしてます。やっぱ、ライブハウスが近所になったっていうのが人格形成に大きな影響を与えているのではないかと。

──子供の頃の趣味は?

 趣味というか、サッカー部だったけど、まあ中学の頃からアイドルは全然見に行ってて。

──いわゆるアイドルとの出会いはもっと遡るのか。

 アイドルとの出会いは……小学生の頃、ずっとプロレスが好きで。
 DDTっていう団体があって、小6か中1の頃、両国の興行でBiSとかLinQとか呼んでいて、それを見たのが地下アイドルとの出会い。
 でも、その前から人並みにAKBとか乃木坂は好きでした。Youtubeでアイドル見てたけど、チームしゃちほこはライブにも行くか、ってなって、見に行ってた。

──じゃあ現場的な経験は割と早くから……

 中高一貫だったから、受験勉強しなくていいし、部活も最後の夏ってみんな力入れたりするけど、自分は高校に行ったら行かなくていいかなってなってたし。そんなときにBiS、でんぱ組.incを好きになってた。
 でも、BiSも解散のタイミングだったし、でんぱ組.incも武道館行く規模だったし、もっとアングラな現場に行きたくなってました。高1になったらバイト始めて、BiSで現場の楽しさは知ってたから、BiSの後継グループだし、BiSH現場に行くかって。で、ここでいろんな知り合いができた。

──BiSH現場で同世代の人はいたの?

 同世代っていっても3個上くらい? の人がいた。一緒に現場行ってたわけじゃないけど、TwitterwでFFだったでんぱ組のオタクと、元々はベビレのオタクだった4個上の集団がいました。

──要するに大学1年生くらいの。16歳で現場にひとりで来るような人はそんなにいないですよね。

 だから、俺が清掃員の中でボコッとひとりだけ年下。まあ、半年くらい経つと近い世代の人が来たりするんだけど。でも、いわゆる「おまいつ」の中ではダントツで年下で目立ってました。

──いわゆる悪いオタクにけしかけられたりするんじゃ……「ハルカ、やれよ」みたいな。

 そう、悪いオタクたちに「仕込まれる」1年だった。いわゆるピンチケみたいに、現場を荒らし回って……当時のBiSHのオタクなんてどの現場行っても一番嫌われるタイプ。ミーハーで暴れるから。その中の、一番嫌なヤツ(笑) ずっとサーフして、リフトして、おじさんたちともみくちゃみたいな。
 でも嫌われてるとはいえ、当時のBiSHはめちゃくちゃ良くて……やっぱ俺みたいなお金のない学生が、体さえ張ればタダで遊べる場所だった。100kmマラソンだって、俺あの日は50km走ってて。頑張ればアイドルとずっと一緒に走れるから。
 アイナ・ジ・エンドが推しメンだったんだけど、箱根地区担当だったからそっちまで行けなくて、結局モモカンとチッチと走って、そこで熱い何かが芽生えてた。だから4人体制時代は、みんなと仲良くできて、すごい良かった。全員と絆があった。お金もないからチェキとかも全然行ってないんだけど。

──お金はなくても、気合と体力で補える仕組みがあった。思えばサッカー部時代に培ってきたものが活きたんだ。部活はマッチョでアレだけど、アイドル現場なら走れる(笑)

 サッカー部で培ったマッチョさは、良くも悪くもBiSH現場ではだいぶ活かしました。特にWACK周りのオタクはマッチョだから。
 で、リンリンとかあっちゃんが加入する頃には、結構現場に飽きてきちゃってて。代わりに、俺はたまに現場来て荒らすだけのもっと嫌なヤツになってた。その後BiSHの運営に死ぬほど怒られる事件があって、BiSH現場に完全に行かなくなっちゃいました。
 当時、現場のマナーの問題として、後ろのお客さんがステージが見えなくなるので「リフト規制論争」が界隈で起きてたんだけど、まず最初にBiSHの運営がリフトを禁止にしたの。でもダイブはグレー。そのことに気づいてるオタクは少なかったけど、俺は気づいてて、「どうやらダイブなら音止まんない!」って。俺しかやってないから、自治厨みたいなオタクにガチ切れされてたけど。
 リンリンとあっちゃんデビューライブのZepp Tokyoで、俺はスク水を服の下に仕込んでたんですよ。「Monster」って曲あるじゃないですか、めちゃくちゃでかいサークルできるから、その真ん中でスク水になってもみくちゃになってダイブするのをやってたら、無料のイベントだったからか、いろんな界隈のお調子者が集まってて……某Tシャツを着てる集団とか。
 そいつらともそこそこ顔見知りだったから、悪ノリで全裸にされて、それを見たスタッフが激昂してやってきて、出禁まで通告されました。そしたらオタクが「ハルカどうした!?」みたいにいっぱい集まってきて、かばってくれた(笑)
 その頃、研究員はこぞっておやすみホロぐらむ、Have a Nice Day!、NATURE DANGER GANGとかに通ってて、俺も面白そうだなって思って行くようになって……ちょうど新宿ロフトが拠点だったから。
 だから高2のときは1年くらい推しメンとかもいなくて。流浪のオタクとして、アキバのほんとにヤバい意味不明な現場を冷やかしに行ったり、よくわかんないローカルアイドルを応援するためにわざわざ福岡に行ったりもしてた。
 Stereo Tokyoの現場にも行くようになったんだけど、清掃員とはちがった変なやつにいっぱい会った。それまでの現場でもいろんな人に会ったんだけど、どこにでもいるのが有名オタクのカンジさんだった。
 俺は荒らしの民だったから最初はすごい仲が悪くて、あんまり荒れたりしないPOP現場で騒いでたら「おまいつ」に目をつけられました。「あいつ何なんだ」って緊張状態があって。その中のひとりがカンジさんでした。
 それから、高2のGWに「肉フェス」ってのがあって、そこでステトーをはじめて野外で見たら、めっちゃテンション上がって泣いちゃったんですよ。その様子を撮ってたオタクがツイートした「楽しくて泣くオタク」みたいな動画が小バズしまして。それ以降、カンジさんたちも面白がってくれるようになって、仲良くなれました。

──でもそろそろ大学受験の準備が始まる頃でしょ?

 受験の準備は高3の頃から……まあまったく受験は大変じゃなくて。美大の受験で出るくらいの問題は簡単だったから、センター試験の過去問だけ勉強してた。それ以外は予備校に通うくらいで何もしてなくて、むしろ学校の時間が短くなったから余裕もできてきてました。ただ、その頃はもう「アイドル現場を荒らすのは良くないな」って思い始めて。

──なんで急に(笑)

 ベルハーも解散したしステトーも解散したし、おやホロも人少なくなって、BiSHもメジャーになったし、みんな元気ないというか……そういうタイミングでSummer RocketとSAKA-SAMAにめっちゃ通うようになった。その1年は推しメンも作ってしっとりとオタクするようになってました。
 サマロケはメンバーみんな好きで、京都にも遠征したし、オフ会とかも行ったし、バイトもしてたから割とみんなのチェキも行って……平和にアイドルオタクっぽい生活をしてた。MIXも打たないで、一番後ろか最前で推しをじっと見たり。

──オタクの両極端を経験してる…… Zepp全裸出禁からの新宿ロフトのバースペース通い。

 しっとりサマロケ見て、「これが”青春”か」って……「そういうのも大事だな、いや、むしろそっちのほうがいい」としみじみしてました。
 まあ、そこからさらに3年くらい経って、同人誌とか作るようになって、今は一周回って現場を荒らしたほうがいいと思っていますけどね。

聞き手 古川・結城
2021年5月1日 収録


11人の"オタク"のライフヒストリーを聞き取った「アイドルオタクヒストリーアーカイヴ」は『かいわい vol.2 "オタクたちの物語はいつも"』に所収。11月23日(祝火)の文フリにて頒布開始です。


『かいわい vol.2 "オタクたちの物語はいつも"』 
価格:1,000円
※電子版/印刷版の通販・委託販売を後日予定。
頒布会場:文学フリマ東京

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?