寄せられた意見への私見-③

「昔はこうだった」「昔のやり方は違う」という人の心理が分からない。時代は変わってい
ることについていけないのか?

「昔はこうだった」「昔のやり方は違う」という人の心理が分からない。
時代は変わっていることについていけないのか?

このような意見は多分人類史が始まって以来
繰り返されてきた不満や愚痴ではないでしょうか。
数万年前から「今の若いものは・・・」と年配者は愚痴り文句を言い。
若者は「うるさい(うざい)面倒くさい」と世代間でののしりあいながらも
折り合いをつけてきたのではないでしょうか。
実際わずか数十年で革命でもない限りそれ程物事の価値観は変化するものではないでしょう。
100年前の人たちと交流するならともかく、せいぜい30年前後でしかありません。
年配者は自慢や自分の存在を顕示するためのたわごとに過ぎませんし。
若者は口うるさい年配者への反発をしているにすぎません。

「時代は変わっていることについていけないのか?」という疑問にはこう考えます。
まず時代は変わっていますが根本的な行動原理はそれほど大きな変化はしておらず、
理解適応することは十分可能な能力を年配者も持っているはずです。
ただし「意欲」はあまりありません。
なぜなら「未来」という時間はそれほど永くないと思っているからです。
いまさら頑張って理解・適応しても仕事のスキルなら数年でその必要性は無くなります。
そんな努力をしなくても
従来のやり方考え方でとりあえず数年は乗り切れるはずだ、と思っています。

従来からジェネレーションギャップといわれてきましたが、
太古の昔から繰り返されてきた世代間の違いであり、
実はそれほど深刻なものではないのではないでしょうか。
大切なことは互いに「分からない、理解できない」ではなく、コミュニケーション努力でしょう。
互いに異言語を使っているわけではありません。
共有してきた時間もたくさんあるはずです。
互いに共有・共感しつつ時間を歩むことが「歴史」ではないでしょうか。

私(70歳を過ぎました)たちが社会人になったころ
よく「新人類」という言葉で一括りにされました。
その言葉に強い反発を覚えたものです。
「新人類」というレッテルを張ってコミュニケーションを回避する「大人たち」に
怒りさえ覚えたものです。
実際に本気で突っ込んだ話をしてみれば、
周囲の大人たちといくらでも共通語があり共有・共感できる事柄がいくらでもありました。

 海雲 龍人

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