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『NARUTO-ナルト-』と自分

スタジオぴえろがアップロードした『NARUTO-ナルト-』の完全新作PVを見て、ちょっと色々と自分の思いを書きたくなったので急遽noteへ(ちなみに3ヶ月前に書いたノートです…)

自分がナルトを見始めたのはいつだろう。確か上海に住んでた頃、まだ小学生だったかな?ある日日本人会の親の知り合いの家に遊びに行き、偶然子供達が集まって見ていたのが下忍試験のエピソード。その時はまだ存在は知っていたけど見たことないって感じだった。それからある日、テレビをつけたら偶然やっててそれから見始めた。

ちょうど三尾編あたりだったかな。ってことは、2008年ごろから見始めたことになる。それからは、欠かさず毎週ナルトを見ていたし、コミックも買った。それとこれまでのDVD全てを購入して、一から見始めた。

2017年の放送終了から早くも5年。ボルトはあまり好きになれなかったが、成長したナルトとその仲間達を見たいという理由で、途中までは欠かさず見ていたが、今では全然見てない。やっぱりあの突如現れた技術革命と産業革命的世界観がどうにもしっくりこなかった。科学忍具自体理解できなかったし、何より世界観自体の崩壊を感じた。それでも、大きくなって親になったナルト、ヒナタ、サクラやサスケを見ると、どうしても見入ってしまう。

ナルトは昔の自分にとっては本当に心の支えだったし、ただのアニメ以上のものだった…よく人生を変えたアニメなんていう人いると思うんだけど。自分にとっては、人生を変えたというより、導いてくれた、または寄り添ってくれたの方がしっくりくる。そんなアニメだった。

ナルトがいたから頑張れたし、ナルトを見て頑張った。なんというか、ナルトに共鳴できる点が昔の自分には色々あった。クラスの落ちこぼれだったというのもあったが、何よりもナルトがサスケに憧れるように、自分もサスケのような頭が良く、クラスでは大人気、なのに冷たい感じの態度を取る「腹たつけど、認めるしかない」天才みたいなのに憧れていたし、嫉妬していた。

でもまあ、サスケにはなれない。それはナルトも自分も解ってた。結局、底辺は底辺で、そこから這い上がるかそこに留まるしかない。ナルトはそこから這い上がろうと色々と足掻いた。みんなの前で馬鹿やって目立とうとしたりもしてたが、何よりもめげずに、何回失敗しても這い上がった。

何もなかったナルトが火影になった。自分も頑張って諦めなければ何かできるかもしれない。「自分の言葉は曲げねぇ、それが俺の忍道だ!」というナルトの言葉に、自分は憧れを覚えた。

そんなナルトは、どんどん強くなり、大人になる。自分もまた、いつも失敗してても笑顔を失わず何度でもアッタクするそんなナルトの背中を見て、助けられたし、共に成長し、大人になった。

ナルトはいつも大きな夢を持っていた。その夢はただ今の自分より強くなって、認められたいという利己的な、自分中心なものから始まり、いつからか里という「家族」を守るという利他的なものへと変わっていった。『ボルト』の中のナルトは、自分の身を削ってでも、里の為に尽くした(親としてのナルトには問題があったのは否めないが)。

皆が馬鹿にしようとも、自分の夢は捨てなかった。その姿勢も、今の自分には大きな影響を与えていたと思う。

今の自分が歩もうと思ってる道も、ナルトが示してくれたのかもしれない。

もちろん、ナルトだけが自分を導いてくれたのではない。『NARUTO-ナルト-』という作品自体が常に自分と一緒に進んでいた。ナルトの各エピソードとその時の自分の日々の思い出は常に一緒に記憶されている。何より、自分はその他のキャラたちからも多くを学んだ。イタチみたいな兄になりたいと思ったし、ミナトみたいな父親になりたいと思った。オビトにも色々共感した。

そして、自分が何よりも憧れを抱くのが自来也。あれだけ強いのに、日頃から自由気ままにふざけてばっかり、でも肝心な所では人が変わったようになる。そんなギャップに自分はかっこいいなと思ってしまった。まあしょうのない人ではあるんだが(笑)。「忍者とは忍び耐える者のことなんだよ」との名言。最初の自来也を見れば、どの口が言ってるんだってツッコみたくなるが、ペインとの闘いと最後の戦いぶりと死に様を見れば、まさに「忍び中の忍び」だなと感銘してしまう。

ナルトを見たことない人は、是非見て見てほしい。まあ何百話あるので、コミックとかの方が入りやすいかもしれない。

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