ポリシー
こんばんは。今、メキシコのグアダラハラは夜12時です。
グアダラハラのこの時期の天気はとてもいい。朝と晩は少し肌寒く感じるが、日中になれば、ぐんと気温は上がる。
こんな日は仕事なんかしないで、おにぎりでも握ってどこか公園でのんびりしながら食べたいなと思ったが、そうもいなかった(笑)
まあ仕方がない….
もうすぐ学期が終わる。
僕が勤めている学校は3学期制なので、今は一番最初の学期になる。メキシコはセマナ・サンタと言う宗教に関係する休暇がある。それが始めるのが4月の第三週からになるので、学期はその前の週で終わる。
いつも学期が始まると、担当するクラスで必ず学生に言っていることがある。
「今日からみなさんに僕は日本語を教えるわけなんですが、できれば僕のことを先生と呼ばないでください。○○さんやもしくは名前の呼び捨てでいいです。」
そう言うと、必ず何人かの学生が「へ?」という顔をする。
そりゃそうだ。目の前にいる僕は彼らにとって
先生
だからだ。
しかし、僕はそう呼ばれることが好きではない。
続けて、こう説明する。
「僕はみなさんの先生ではありますが、先生と呼ばれることがあまり好きではありません。私を先生と呼ぶということは、みなさんは学生になります。そうすると、先生が上で、学生が下という関係が生まれてしまいます。僕はみなさんが日本語を学ぶお手伝いをしに来ただけです。そういう関係を作りたいわけではありません。」
働いている学校では、僕より年齢が下の学生さんもいれば、もちろん上の学生さんもいる。中には仕事が先生という学生さんもいる。
ただ日本人というだけで先生と言われるのは、あまりにもおこがましい気がする。
中には、日本の上下関係が好きだという学生もいる。そういう時、僕は
「では、どうしてみなさんは私のことを先生と呼べるのに、私はみなさんのことを学生とは呼べないのでしょうか?何かそれって不公平な気がするんですが、みなさんはどう思いますか?上下関係ってどちらにとっても不公平ですよ。」
不公平….うーん、そんな関係にあまり魅力を感じない。
学生が持つ日本のイメージで多いのは、
・教育がしっかりしている。
・上下関係があって、他人に対するリスペクトがある。
・規律やルールを重んじる。
などである。
確かにそれは日本のいいところでもある。
日本は個人よりも集団が大切にされる国で、それがゆえに、非常に速いスピードで経済発展を成し遂げることができたのだと思う。そして、上下関係がはっきりあるというのも日本のすばらしいところだと思う。
しかしながら、
ただ先生というだけでリスペクトをしなきゃいけないのだろうか?
ただ先生というだけで人を下に見てもいいのだろうか?
それは何かとても偏った考え方のように思う。
日本語教師としてメキシコで3年働いていて、いろんな先生と知り合うことができた。
残念ながら、中には先生という自分の権威を利用し、学生を「いい学生」と「悪い学生」に分け、とても偏った見方で学生に接している先生もいる。
宿題をしてくる学生は良い学生。しない学生は悪い学生。
起きている状況が良くても悪くても、全ては学生にあると思っている。
本当にそうだろうか?
その出した宿題はそんなに完璧なものなのだろうか?
改善の余地はないのだろうか?
僕は先生と呼ばれることで、そのポジションにあぐらを搔きたくない。そう呼ばれることで、先生である前に、何か人として大切なものが見えなくなってしまうのではないかと思っている。
今日したクラスで学生にレストランで食べたいものを注文する会話を練習してもらった。
会話パターンがあるので、それに沿って彼らは練習できるのだが、
A: すみません。ちゅうもんをおねがいします。
B: はい。
A: カレーをひとつとビールをひとつください。
B: はい。
ここで会話が終わっていた。
Bさんは店員だが、「はい」で終わるだろうか?
不自然に感じたので、彼らに「はい。」じゃなくて、「はい。かしこまりました。」と言ってはどうかと勧めた。
すると、ある女の子の学生が、一生懸命
「か、かしこ、かしこまりました。かし、かしこ、あ~、かしこまりました。」
と言いにくそうに言っていた。
それを聞いているだけで自然と頭が下がった。
ちなみに、彼女は僕のことを呼び捨てにする。だが、そう呼ばれていても、なめられたことは一度もない。
それで何がいけないと言うのだろうか。
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