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今日も書きます

こんばんは。今、メキシコのグアダラハラは夜1時です。

今日もnoteを書き始めるのが遅くなってしまった。
今日は投稿を止めようかとも思ったが、できるだけ平日は休まないで投稿していきたい。


最近、仕事がマンネリ化してきている。なんだか与えられた仕事をこなしているだけという気がする。今日もそんな感じだった。はっきり言ってつまらない。

そんな時、よく読む本がある。

糸井重里が書いた「ボールのようなことば」だ。

メキシコに来る前に買った。一度濡らしてしまい、変色してしまったところもある。

僕はよく何かに行き詰ったり、どうしたらいいか困ったときに、よくこの本を読む。本と言っても、これは短いエッセイをたくさん集めたものだ。

いくつか今日もまた読んでいて、心に残ったものを紹介したい。

今日は簡単に済ませたい。だって寝たいから(笑)

P.186 だれにでもわかることばで、たいていのことはできる。

人は大人になると、ついつい難しい言葉を使って説明したがるものだ。分かりやすいことを分かりにくくする人もいる。普段、学生と接していて、「先生、○○は日本語で何ですか?」という質問をよく受ける。たまに難しい言葉を知りたがっているが、それを使う前に言いたいことを他の言い方で説明できないかと提案する。

だって、相手(他の学生)は分からないかもしれない。コミュニケーションは必ず相手の理解があって進んでいくもの。そこを忘れないでほしい。

P.151 知らずにうそをついている場合があるので、気をつけよう。
(形式や、常識、先例は、うその宝庫である)

みんな自分がうそを言っていないか不安になる時がある。そして、周りの人が正しいと言っていることに流されがちになる。でも、もしかしたらそれは間違っているかもしれない。

自分も知らず知らずのうちに、うそをついている場合がある。そして、学生には先生が言ったことだけを鵜呑みにしてほしくない。

先生なんて、そんなに偉くないよ。

P.224 好きも嫌いも、あまり穏やかなものではない。
    好きも嫌いもないのに、気持ちよくつきあえるというのが、
    きっと、ほんとうはいちばん上等なのだろう。
         そうは考えていても、好きやら嫌いやらが、残る。

人にはみんな感情がある。はっきり表に出す人とそうでない人がいるだけで、みんなあるのだと思う。

対人関係に悩む人は多い。僕もそれに悩まされている。

特に、仕事の上司、同僚、先輩や後輩など、みんながみんないい人なら、それに越したことはないが、からなず「嫌なやつ」というのはいる。

そういう人がいても、どこかで割り切って付き合っていけるのは、ずいぶん大人なことだと感じる。

本当はそうあるべきだと思いながら、そんなわけにもいかず。


この本にはずいぶん助けられてきた。困ったときや行き詰ったときに、これを読んで、何度も救われた気がした。

それは、きっとこの本が物事の本質を突いたエッセイだからだと思う。

物事は時代とともに変化する。今日イエスと言ったことが、明日ノーになる可能性がある。でも、本質は変わらない。時々曇ったり、見えなくなったりして、その存在を忘れがちになるが、そこにある。

さあ、いい感じに眠くなってきた。もう寝ます。

おやすみなさい~


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