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推し、燃ゆるラベル社会

宇佐見りん「推し、燃ゆ」,2020
 の序盤で主人公のあかりが鬱になり、病院で診断を受けて、ふたつほど診断名を受ける。そこであかりは
「肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしたけど、さらにそこにもたれ、ぶら下がるようになった自分を感じてもいた。」
と語っている。

この文章は現代社会の癌のようなものを私に突きつけた。
それはこういうことだったと思う。
現代においては全てのものごとに名前がつけられラベルを貼られる、名前を持たないものは得体の知れないものとなってしまう。けれど、そのラベルは生きるのを楽にするとともに、縛ってしまうと。

それが明かしたものは、この頃取り組んで考え悩んでいたこととリンクした。
福祉施設について考え、アイデアの設計をするタイミングがあって、こういうことを考えていた。
福祉施設というのは、そこを訪れる人の「生活のために不足している部分」を強調してしまうことで、例えば「高齢者」や「障害者」などのラベルを生み出す。そのラベルによって施設内の人々は判断され、その人たちの多様な面(例えば、読書がすき、料理がすきなど)は見えなくなってしまい、外の人はその施設内の人々が多様な面をもち、隣にいる人と同じように多様な考えを持っていることに気づかない。それが福祉施設が街に対して閉じた場所になってしまう大きな要因だと考えた。

ラベルは基準を作ったり、判断の材料になったり、社会生活の中でわかりやすく生きるためになるものだ。けれど、そのラベルが隠してしまう多くのことが、その人やものが持つ多くの面が本当は社会を作っている。
世界は多様であると。
ラベルを剥がしてみると面白い。


設計した福祉の場所の話はまたどこかで話したいなと思う。

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