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結ばれたガンバレ。って物語。

前に進む。

一歩。また、一歩。
砂利道を、進む。

汗を流しながら、走る。
動け。動け。

ずっと後ろにいたアイツが目の前にいる。
なぜか湧き上がる憎しみの感情が、のみ込む。

ほら、動け。動くんだ。

負けるんじゃない。
そう思うほど、体は重くなる。

負けた自分が馬鹿馬鹿しくなる。

なんで、アイツに負けたんだ。
まず、勝つ必要がどこにあっただろう。
誰も競えと言ってはいないのに。
全部勝手だったんだな。

なんで、ここにいるんだろう。

なんで、走っているんだろう。

気づくとそこは真っ暗闇で、
傷だらけになった自分の体。

とにかく走らなきゃ。進まなきゃ。

暗闇から、声がする。

「頑張れ!」「進め!」

あぁ、と思う。そしてまた、一つ気づく。

無責任な「その声」は、大嫌いだ。


*****

「ガンバレ」は魔法だ。

その呪文で魔法がかかったかのように笑顔になる。
その呪文で魔法がかかったかのように嬉しくなる。
その呪文で魔法がかかったかのように、力が湧く。

何度ガンバレと言っただろう。
何度ガンバレと言われただろう。
何度ガンバレと、これからも言っていくのだろう。

あの日、キミのガンバレで救われた。
いつか、私のガンバレで救えるだろうか。

「ガンバレ」が励まし、励まされる。素敵だ。
そうやって、これからも動いていくのかもしれない。


でもね。

ガンバレに自分の中で「=」が結ばれたとき、
「頑張ること」ではなくなってしまうときがある。

それこそが、無責任なガンバレ、応援だ。

あの日、キミがくれたガンバレは力になった。

ガンバレ=あなたなら大丈夫。そう信じてる。だから楽しんで。

私はそう解釈している。
そして私がキミにガンバレを送るときも、そう想っている。


私が嫌いなガンバレは、2つある。

1つは、そもそも「=」で結ばれないガンバレ。
こっちから見てもわかる思ってもいないガンバレ。
私を上から見て、馬鹿にしているのかと思うようなガンバレ。

もう1つは、「=止まるな」と結ばれるガンバレ。

ガンバレ=めげるな。走るんだ!止まるな!

別にあなたは何も思わないかもしれない。私も前までそうだったのだから。
もし、あなたが何か辛いときにこの言葉を
もらったとしたら、どうするだろう。

頑張る。

それしかないだろう。

止まっちゃいけない。前に進まなきゃ。
がむしゃらに足を動かして。
がむしゃらにもがいて。
もがいて。
もがいて。

目的地がどこなのか。何のために動くのか。生きる意味とは。
ガンバレの持ち主はゴールの先を知っているのだろうか。
なんで私は、こんなに弱い人間なのだろうか。

たくさんの疑問を紛らわすように動き続ける。

その疑問は解決しないまま自分にのしかかり、体をどんどん重くする。
それでも動かなければいけないと無理やり動く。
気づいたときには自分を見失う。
気づいたときには、もう動けなくなっている。

ガンバレ=止まるな=悩むな
好きなことを頑張る人にはいい意味だが、
そうではない人にとって、いい意味にはならない気がする。

ガンバレ=ムリスル

「ガンバレ」と「ムリスル」は別物だ。
でも「=」でつながってしまうことがある。

ガンバレの先に何があるのか。
その何かを想像できない人の「ガンバレ」ほど、無責任なものはない。

そんな「ガンバレ」が、大嫌いだ。



素敵な言葉に出会った。自分に気づけた、言葉。

日常に疑問は溢れています。
なんで空は青いのか。
なんで海は広いのか。
なんで僕達はこんなに音楽が好きなのか。
その「なんで」があるから、
僕達はいつも前を向けている気がしています。
疑問があるから答えを探そう。
そうやって僕達は歩いて行けるのです。

だけど
その疑問が自分に向いたとき、
人は途端に足を止めてしまいます。

なんで自分はこうなんだ。
なんで自分はあの時、あんなことをしてしまったんだ。
なんで自分だけ。
でも、
そうやって自分に向いた疑問を解決して
もう一歩進みだすとき、
きっと僕達は前よりも大きな一歩を
踏み出せているはずです。

だから、
自信を持って立ち止まろう。
次に待っているのは
大きな一歩だから。

立ち止まる勇気。

がむしゃらがすべてじゃない。
進むことがすべてじゃない。


この言葉の持ち主は、フォークデュオ「さくらしめじ」田中雅功さん。

今年の6月に行われた結成6周年の配信ライブでの言葉だ。
(ライブ中の言葉だからここに残していいのかわからないが)

新型コロナウイルスの影響をずぶずぶに受けた2020年。
きっと誰もが悔やんで、何も悪くない自分を責め続けた年。

中学1年で結成し、高校を卒業した「さくらしめじ」。
高校卒業ライブも、ライブツアーもすべて中止になった。

そんな中、形を変えて行い続けている「ライブ」。
6周年のライブでは紙芝居と組み合わせ、
夏には東京の街をバスで移動しながら歌い、
先月はキャンプ場からの弾き語りライブを行い、
先日は開店前の書店で店員をしながら朝ライブをする。
彼らは会えない中でも、歌を届け続ける。

「なんで」を言語化する。
自分に向かってくるその「なんで」には
答えなんかないかもしれない。
それでも、進むために、立ち止まる。
立ち止まるために、進む。
そんな彼らの「ガンバレ」が、好きだ。

大丈夫だよ=ガンバレ
たまには休もう=ガンバレ
キミならできる=ガンバレ
一緒に進もう=ガンバレ

私は、彼らを、彼らの音楽を尊敬している。

立ち止まる。一見、進むこととは真逆のことだ。
でも、きっとそうじゃない。
立ち止まるとやめることは、同じじゃない。

ガンバレ=立ち止まっていいんだよ。

立ち止まったとき、逃げてきたものがのしかかるだろう。
自分がみじめに見える。小さく見える。
でも、
少しだけ、好きになれる気がする。
少しだけ、前より笑えてる気がする。
深呼吸。
踏み出すのが怖くなるかもしれない。
楽しみになるかもしれない。
立ち止まる。
立ち止まっていい。
その気持ちが、右足を前に動かす。
そして、また……

自分と見つめあう。その先に待っているもの。
見えなかったゴール。砂利道に転がる障害物。
そして、自分の周りの人間の存在。
進むことと止まることは同じだ。人には、大切なことなんだ。

*****


本当のガンバレは止まるなじゃない。

どれだけ止まってもいい。

休んでもいい。

向き合いながら。

傷つきながら。

泣いて。

笑って。

一歩。また、一歩。

ガンバレ=だから、大丈夫。
     共に進もう。共に止まろう。


今の私なら、あなたにそんなガンバレを送るだろう。

                            KaiTO

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