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転んだときは。

転ぶ。


お気に入りのズボンに穴が開いて。

自分の身体から赤い涙が流れて。

バクバク動く心臓にも穴が開いて。

そんな痛みに、泣きたくなる。


痛いもの。こんな痛い思いはもうしたくない。

そこであの子は考える。

どうやったら転ばないだろう?

もっと注意する?

下を向いて歩く?

体幹とやらを鍛えてみる?

そして、決定的な事実を知る。

走らなければ、転ばないのである。

動かなければ、転ばなくていいのである。



何度だって。


松尾太陽が好きだ。

超特急、タカシが好きだ。

友達の影響で音楽を聴くようになった超特急。ライブDVDを借りたり、YouTubeでバラエティを見たり、部活中に爆音でCDを流して怒られたこともあった。(当時部活の部長副部長だった私たちは結構何でもできたけど先生には敵わなかった。)

太陽、と書いてタカシと読む珍しい名前。

その歌声は、太陽そのものだ。

関西人なのに関西人っぽくないことを気にしているような優しい性格、繊細で伸びるようなその歌声に何人もの人が照らされてきただろう。

そんな彼のソロでの活動。

超特急のタカシとは、また違う。同じ人間のはずなのに同じじゃないような。いや、同じだけれども、松尾太陽という人間が歌っている。人間味がまた、心掴む。
(私は『掌』という曲がすごく好きだったりする)


そんな彼が新曲を出した。

『起承転々』

作曲は山口寛雄さん。そして、作詞は尊敬する阿部広太郎さん。

絶対好きだ。聴く前から好きだった。聴いてもっと好きになった。

大好きな人が一緒に曲を作っている。想いを繋いでいる。

もし、転んでしまっているとしたら。もし、立ち上がろうとしているなら。信じて、走っているなら。進むことが怖くなっているなら。

聴いてほしい。


転んだぶん自分になれる

転ぶとき。

足を引っかけられるとき

石ころに躓いたとき

足つっちゃったとき

遠くを見すぎたとき

何にもないのになぜか、転ぶとき

やっちまったと思って、自分を責めて、苦しくなる。


転んだぶん自分になれるというのは=苦しんだ分成長できる

ではないと思う。この曲はそういうことじゃないなと思った。

転んだのは自分だ。でも自分のせいで転んだのだろうか?

不注意とか言いながら自分を責めてしまうけど、結局誰のせいでもないことだ。そうだ。石ころは私を転ばせるために生まれてきたわけじゃない。

転んだら、空が見れる。

真っ青な空。ずっと、ずっと終わりのない空が何をするわけでもなく、私を見つめる。

前にも同じ景色を見たな。なんだ、またか。そんなこと思い出して笑えてくる。

上手く書くことはできないけど、そういうことなんじゃないかと思った。

転ぶと痛いよ。そりゃそうだ。でも、またそんなときは空を見上げよう。だから、転ぶことを怖がらなくていいんじゃないかな。それならもう1歩、踏み出してみない?

私の中の松尾太陽さんが語り掛けているような、遠くから阿部さんがニコニコして見ているような、そんな感覚。


初めて聴いたとき、泣きそうになった。

企画メシが始まる直前に書いたnoteを読み返して、また泣きそうになった。

不安でいっぱいだったあの時の私。あの感情が湧き出てくる。独り寂しいような、誰かと一緒にいたかったような。

あの日の私に、やっと手を伸ばしてあげられた。

松尾太陽さんの手でもなく、阿部さんの手でもなく、私の手が。あの日伸ばした私の手をぎゅっと握り返した。


結末が見えなくても
起承転々 道は続いてく

起こる。承ける。転ぶ。

そうじゃなくて、

起こる。承ける。転ぶ。起き上がる。

人生の結末なんてないかもしれない。自分がいなくなってしまっても、自分のことを覚えている人がいて、終わることはない。

どうしても結果に目がいってしまうときもある。結果のために、結果のためにと歩いて、走って、転んで、苦しむときもある。

結びのためじゃない。起き上がるために歩いて、走って、転ぶんだ。

私はそう思うことにした。

そしてまた今日も、1歩。私は、


ずっと ずっと

ものがたりをつづけよう


                               KaiTO


(『起承転々』が収録されている松尾太陽さんのアルバム『ものがたり』絶賛発売中でございます。配信もされていますので是非!超特急もチェックしてみてください! 8号車より)

松尾太陽さん、山口寛雄さん、阿部広太郎さん、制作に携わった全ての方々。歌を届けてくださりありがとうございました。

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