見出し画像

#16 二種類の"真面目"について

こんばんは、しげまです。

今日は、日本人とドイツ人という二面性から見る”真面目”という言葉について考えたいと思います。

いずれの国民性にも、”真面目”という言葉は含まれていると僕は思います。ところが、その結果とる行動は結構違う方を向いている。

それは今回のコロナ騒動を見れば一目瞭然。お互い真面目に行動しているものの、両者の行動は対局にあるといってもいいでしょう。

今回も前提として、両者の是非を議論するものではなく、僕が両者の行動を見て感じることを事実ベースで並べているだけだということを留意ください。

こういう人も世界にはいる、ということを抑えてもらった上で、知見の一つとしておさえてもらえればうれしいです。

1. ”決まり”に対して真面目なドイツ人

国からの指令は絶対。研究所の中で決まりになっていることは絶対。ルールは絶対。

僕がドイツ人に対して感じたことはこんなところ。悪く言うと”融通利かなすぎ”。

その書類に代わりにサインくれるだけでいいのに...! この部屋の鍵を開けてくれるだけでいいのに...!

こういったシーン、何回かありました。

これ、俺の担当じゃないから。

そしてこう返されるのがお約束だった。

とにかく決まっていることに対して忠実なドイツ人たち。国から言われたお達しにもきっと、”言われたことだから”、と割り切って守る人も多かったんじゃないかなぁと推測します。

そして、首脳陣の指針と国民性がピッタリはまったからこそ、モデルケースとして紹介されるに至ったのではないでしょうか(あくまで僕の推察に過ぎませんので、この辺りは聞き流して)。

早く家でてぇよ...!と言って、Stayhomeをきっちり守って庭以外外に出ていなかった僕の友人もその観点から言うと、典型的なドイツ人である、と言えるかもしれません。

2. ”コミュニティ”に対して真面目な日本人

仕事が休めない、外では行儀よくする、いい子にする。

一定の広さを持ったコミュニティの中で、自分の信頼や評価を落とさないために必要な行動を考える、といったところが日本の国民性だと僕は考えます。

実際自分自身振り返っても、自分が属しているコミュニティのメンバーからの信頼は失いたくないし、信頼を勝ち取るために必要なことを常に考えて行動してきたと振り返る。

その結果、”国家”というコミュニティは当事者には見えてこない部分があるんじゃないかな、と考える。

日本のために頑張る、って考えて何かをやっている人は少ないよね。

ま、俺も偉そうなこと言えるような立場じゃないけどね。結局人間だし、自分のためにしか頑張れないよ。

3. 大切にしたいものは何か

結局その人の価値観の中でしか生きられないという点で、誰が正しいなんて話は議論の余地がないし、そういった意味ではみんな正しい。

みんなちがって、みんないい。

でも、いろんな人に出会って視野を広げることで、自分の思い通りにならない他者と対面したときに、自分の感じ方が大きく変わるな、と思った。

あ、この人は自分と違った考え方で生きている人なんだ。

こうやって他者を肯定することができると、自分のフラストレーションを上げることなく、他者と向き合うことができると思う。

そしてひいては、個人の幸福度は上がっていくんじゃないかな、とも思う。

という訳で、新たな視野を手に入れた僕は以前に比べて幸せに生きることが出来ています。

思っていたのと少し違うテイストの文章ができあがったけど、まぁそれも一つ、ということで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?