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石田衣良著『空は、今日も、青いか?』

『池袋ウエストゲートパーク』や『美丘』、『娼年』など映像化された作品は数知れず、2003年には『4TEEN』で直木賞を受賞した経験もある小説家の石田衣良。
2006年、そんな彼が初めて上梓したエッセイ集が本書『空は、今日も、青いか?』だ。
 
本書は元々、かつてリクルートが発行していたフリーペーパー・R25に連載されていた著者のエッセイを1冊にまとめたもの。
掲載先がビジネスパーソン向けの媒体ということもあり、働く読者、著者の場合は特に社会に出始めたばかりの若者に宛てたメッセージが中心になっている。

1つのエッセイにつき文庫本だと3~4ページという短めの分量で綴られているものの、著者のユニークでエッジの効いた文体は、今なお色褪せぬことなく、読者の胸に届く内容になっている。

本書はこんな書き出しから始まる。

勝ち組負け組と簡単に人をふたつに分けて、浅いところでわかった顔をする時代になってしまった。

(中略)人間はゴミではないのだ。人は誰でも、ある部分で勝ち、別な部分で負ける。どれほど強運で才能に恵まれた人でも、必ず失うものがある。
生きることの味わいは、勝ち負けなどよりずっと多彩で、目がくらむほど深い。それに気づけない程度の人生なら、ガラスの塔の最上階に住んで、プロ野球の球団を買収しても、浅瀬で水遊びをするようなものだ。

石田衣良『空は、今日も、青いか?』集英社文庫(2009年)14~15ページ(「組に分かれず」より)

1990年代初頭にバブルが崩壊し、見通しが立たない不景気が続く日本。
勝ち組や負け組という言葉も、明るい未来が見えない苛立ちを、他人を攻撃して解消したい、または「自分の方が上だ」などという小さな自尊心を保ちたいがゆえの表現なのだろう。

このエッセイが書かれた頃よりもインターネット等の情報インフラの発展はさらに進み、今や日々のネットニュースやSNSで自身と他者を簡単に比較できてしまえる時代になった。

今、僕たちに必要なのは誰かに引け目を感じたりすることではなく、自分なりの目標を見つけ一心不乱に取り組んでいくことなのかもしれない。このエッセイを読んで、日々溢れる情報に惑わされず生きていくためにも、そうあり続けたいと強く感じた。
 
こうした、当時の世相を反映した内容が続くのかと思えば、原稿の締切が近くて焦っている心情など、実にほどよい緩急で読者を夢中にさせてしまう。

どれも読みやすい語り口でありながら、「確かにそうだよなぁ」と深く納得してしまう不思議な説得力もある。軽妙なタッチなのに、芯の通った考えがずっと読者の心に残る感覚。
そして、若者への応援メッセージは、愛の込もった温かさと、酸いも甘いも噛み分けた文章で綴られる。ぜひ本書を手に取って、実際に目にしてほしい。

刊行されて18年ほどが経過した現在でも、何気なく生きていたら見落としてしまいがちな言葉を届けてくれる。
自分を見失うことなく生きていくことの難しさ。何もかも飽和したこの社会だからこそ、物事の情勢に左右されずに自身の考えを持ち続ける著者の言葉が深く刺さるのだ。


最後に、本書で個人的に好きな文章を紹介して、この記事を締めたいと思う。

「空は、今日も、青いか?」
タイトルにもなっているこの一文こそ、「世の中そう簡単には変わらないけど、今日も空を仰いで自分らしく生きていこう」そんなメッセージが込められているのではないかと、僕は勝手に解釈している。そして、その答えはきっと、読者一人ひとり違うものなのだろう。


社会にでたら、仕事以外のことを大事にしよう(仕事はがんばるのあたりまえだものね)。
早いうちにそれを見つけて、つぎの十年間たっぷりと社会生活をしながら楽しんでください。その遊と学は、その後のあなたの数十年を照らす光りになる。迷ったときやつらいときに、どう生きていけばいいのか方向を示してくれる夜の海の灯台になるのだ。

(中略)フレッシュマンのみんな、いよいよあなたの出番がやってきた。自分の風と自分の色で、思う存分活躍してほしい。この世界は新しい風を吹かせてくれる新人を、いつだって必死の思いで待っている。春一番は、みんなのなかから吹いてくるのだ。

石田衣良『空は、今日も、青いか?』集英社文庫(2009年)84ページ(「春一番を吹かせよう」より)


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