有機農業の本当の意味とは? 闘う農民たち①
先日リリースされた自然栽培の記事では、
自然栽培と有機栽培などの他の農法との違いや、共通点について解説しましたが、
(詳しくはこちら)
大事な思想の部分についてはあまり書けませんでしたので、その辺に興味がある方はぜひこの記事を読んでいただければと思います!
ウェブ記事が表なら、こっちは裏テーマといった感じでしょうか。
自然栽培だけでなく、これに類するオルタナティブな農法は、有機栽培も、自然農も、自然農法もすべて、
その思想的な元を辿れば、現代の資本主義社会への抵抗であり挑戦だった、という話をしていきたいと思います。
まずは、有機農業について
有機農業(=有機栽培)の思想的な源流は宮沢賢治や田中正造など、公害問題や人権問題を解決しようとした人たちでした。
賢治は農学校で教鞭を振るう傍ら人間中心の世界観ではなく、他の生き物とも共存する農村社会を夢見ていたし、田中正造は百姓として農村生活を営む中で足尾銅山の鉱毒に気付き反対運動を展開しました。
19世紀後半、日本が近代化そして工業化していく中で、企業利益が最優先されていく社会へいち早く警告を鳴らしていたのが彼らだったのです。
しかしその後も資本主義の浸透は留まるところを知らず、20世紀に化学肥料と農薬を使い効率と生産性を追い求める今の農業が完成されていきました。
そんな中、1971年に農村の荒廃や破壊的な農業への危機感から一楽照雄氏が始めたのが「有機農業」でした。
この言葉には、田中正造が好んだ漢詩から着想を得たと言われる「天地有機」の思想(「天地」 である 「 自然」の働きに則ることが基本であるという思想)が込められています。
自然の働きに則ること
そして豊かな地力と生態系、それを基盤にした社会と文化の発展を目指すこと
一楽は, 単なる農薬や化学肥料の毒性だけでなく, 農民の生活基盤を破壊する近代農法の思想そのものが, 人間社会や自然生態系の存続を危機に陥れかねないことを看破したのです。
そして80年代には世界的な環境運動と連動して有機農業運動も一時盛り上がりをみせたのですが、
その後「有機農業」という言葉が広まるにつれ、こうしたエコロジーに基づく思想やラディカルな政治的意味合いがそぎ落とされ、単なる栽培方法へと矮小化されていきました。
今でこそ有機農業といえばJASや農水省が定義していますが、もとを辿れば一楽という思想家による現代社会批判だったんですね。
そうして有機農業という言葉が風化していく中で、
再び現代社会への批判として台頭してきたのが、自然農法や自然農と呼ばれる農法ですが、これらについてはまた次の記事で紹介していきます!
お楽しみに!
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