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コンクリートを大好きになった僕。

授業中に雨が降っていることを確認すると、心の中で「よっしゃ!」とガッツポーズをしていた。

だって、それはコンクリートが大好きだったから。

そんな僕は、「初芝橋本高校サッカー部」に入部した。もう一度言うが、「サッカー部」に入部した。

今回は、僕が高校1年生の時の話を書こうと思う。

入部当初は中学と同様、サッカーに没頭していた。パスをすれば全部通るし、ドリブルすれば抜ける、そんな状態だった。僕のサッカー人生の中で1番無双していた。

だが、徐々に狂い始める。怪我をする。そして練習後に池前に集合させられ、2時間にも及ぶ先輩からの厳しい御指導。上下関係。細か過ぎるルール。等々。

当時の僕は、この環境に完敗した。完敗を喫し、その代償を負うことになる。

それがコンクリートを走ることが大好きになることだ。

グランドでサッカーをするより、学校の周りを走ることが大好きになった。僕は、なんでそう思ったのだろうか。

それはグランドでサッカーをすると、人との関わりが増える。競り合い、パス交換、監督が見ている、ミスをした時のため息や罵倒、先輩とぶつかった時にはボールではなく真っ先に先輩に謝罪することなど。

パス練習をはじめとする全ての関わりに対して恐怖を感じていた。

しかしサッカーはチームで行うスポーツで、人との関わりが増えるのは当たり前だ。その当たり前が嫌になってしまった。

嫌になると、練習時間が迫ってくる度に強烈な不安が襲う。でも、練習時間はやってくる。そして、練習が終わり、ホッとする。

その繰り返しで練習に取り組んでいると、雨の日の練習で世紀の大発見をする。

その発見のプロセスをどうぞ。

①雨が降ると、走りのトレーニングになる。
②走りは、タイムや本数があってそれをクリアすれば良い。
③人の代わりを走ることはできない。自分次第。
④てことは、人との関わりが無くなる。
⑤はい!大発見。走りって最高。

こんな思考だった。

ちなみに、雨の日は2時間半にも及ぶ走りのトレーニングである。でも、そんな雨の日に世紀の大発見をした。(人を担いで坂道ダッシュなど、マジで過酷なメニューです)

この2時間半はサッカーをするよりも、一瞬だったのを覚えている。

だって、それはコンクリートが大好きだったから。

しかし、この代償は僕にとって重いモノとなった。コンクリートを追い求め、走りのタイムに入れるように努力した。
でも、走りのタイムに入れるようになると、それ以上は伸ばそうとはしない。タイムに入れたらオッケーという、マインドになってしまった。

それが故に、全てのメニューにおいて
どれくらいのペースで走れば、タイムに入れるかを全身で覚えてしまった。
これは天才的な能力かもしれないが、絶対に手にしてはいけない危険な能力だ。

自分の限界を超えない。超えそうで超えない。
コンフォートゾーンに留まってしまった。これは、サッカー選手として死んでいる。いや、人として死んでいる。

コンクリートが大好きになった代償は
自分の成長を止めてしまうこととなってしまった。

それでも、サッカーを辞めなかったのは常に隣に同期がいたことが1番大きかった。

先輩や監督の愚痴を言ったり、アホなことをしたり、先生に授業を如何にさせないかを考えたり、テスト勉強をしたり。

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同期が居なかったら、コンクリートすらも大好きになれなかっただろう。

この経験は、自分の弱さが露呈したが故に引き起こされたものだ。当時は苦しんでいたが、コンクリートが大好きになれたことは、かけがえのない経験である。この経験を活かすも殺すも自分次第。




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