佐々木 海真

沈殿物 https://www.tunecore.co.jp/artists?id…

最近の記事

ニワトリも泣く

起床ラッパの役目を果たしていたニワトリを美味しく頂いた夜も明け方、消化ずみであるはずのそのニワトリのコケコッコーが耳をつんざき、目が覚めた。 それは3月で、朝方はいまだ深く冷え込み、私は毛布を肩まで寄せると、鶏鳴をいぶかしく思う間にも眠気が、深い霧のように覆いかぶさり、また眠り込んでしまう。 そうして9時になった。晴れの日には、鋭い陽光が差し込む窓辺では、ねずみ色の陽光が間接光のようにおぼろげに差し、それで今日が曇りか雨、ということが、外を見るまでもなくわかる。 ぬるい雨の

    • 2024/07/01

      くぼんだ眼のむくろ ほどけたレースカーテン 海のにびいろ 純正の夏はもうこない よびだす淡紅色 クリオネが声を上げて 氷が溶けだす 海がながれだして ふいになみだする 理由もしらないまま 月がよって、さがって つられて海も 引いていくなみだの あとかたも消えていく

      • Vanishing point

        夜中の日付も回りそうな頃に、自室のキッチンに備えつけの白色蛍光灯だけを点けて、冷蔵庫のブーンという音だけが一番大きな音になる程の静寂の中では、孤独が透明になっていくような心地良さを感じる。 一秒、二秒、三秒と数えて経る十分は長いのに、SNSをスクロールしながら経る十分の短さ。 時間は伸びたり、縮んだりするように感じられることについて随分昔から不思議がってきたけれど、未だ確かな回答を得られず。この真夜中には、一秒、一秒、を零してしまいたくないというだけの尊さを、時間に感じる孤独

        • Lost and found

          山の稜線が隙間なく林立する緑色した木々に沿っていた。 葉緑体が緑という色を呈しているのではなく、私たちの眼が葉緑体を緑と見るのか。いつまで経っても答えのでないような膠着状態を私は心底気に入る。 十代の頃は、苦しみや努力の意味がいつか分かるのだと、なんとなくそんな風に考えていた。その後、考えていた期待は木っ端微塵に破砕したり、形を少し変えて叶ったりした。 私の見る世界は私固有の色眼鏡を通しているが、しかし世界が私に沿って動くという訳ではないということを腑に落とすまで時間がかか

          外部と内面世界 アリアの主題と変奏

          私自身から離れていて尚且つ私に突き刺さった外部(仕事とか、家族とか、経歴や所属コミュニティなども)を何もかもを失ったとしても、生命が脅かされることでない限り、肉体は生き続ける。私自身も。それを改めて不思議だと思う。私と繋がりあう外部は私内部の価値基準と一緒くたになっていて、外部が失われることが、自身の内面の一部を失うことと同義のように感じられる。 起きたこと、その事実に一喜一憂する。しかし起きてしまったことには、起きてしまったという事実以上の意味を持たない。 幸福と不幸、成功

          外部と内面世界 アリアの主題と変奏

          手記2024/04/18

          ずっと前の、時間の概念を知らない脳の中では今朝のような出来事、はじめは些細な出来事が、聞き入れることを拒まれた、追いやられた心の片隅──そこが相応しいとみなされた居場所──で谺して、繰り返すうちに大きくなっていく。 つまり、些細な出来事は、些細な事だと見なした出来事であり、自分自身にとって些細であるとは限らないこと、その答えは、自分自身しか知るよしがなく、その時私は、自分自身の声をどれだけ蔑ろにしてきたか気づく。 それに表面上では、私はたやすく自分自身を押さえつけたり、本意で

          書評 重力と恩寵/シモーヌヴェーユ

          要約 「知ること」と「全精神を打ち込んで知ること」の間に横たわる隔たりを知る人 われわれの魂のなかの恩寵は沈黙のうちにわれわれがふたたび神にあることを同意する日を待つ。重力は創造の法則であるから、恩寵の働きはわれわれを遡創造することに存する。われわれが「なにもの」かになれるように、神は愛によって「なにもかも」でなくなることに同意した。紙がふたたび「なにもかも」になれるように、われわれもまた愛によって「なにもの」でもなくなる(無になる)ことに同意しなければならない。したがって、

          書評 重力と恩寵/シモーヌヴェーユ

          02/27

          彼らはどこにいってしまったのか。彼らが居た場所を捨てて、歯車の一部となることを選ぶことよりも、ここで私と同じように深く潜水しているのだと信じたい。 「現在、水深2500メートル…」 今、この潜水艦が水圧に耐えられなくなれば私は、潜水艦もろとも破砕してしまうだろう──そんな事故が少し前にもあった──なんて魅惑的な死なのだろう。病室で最期が来るのを待ち続けるよりも、私が亡くなった後に発せられる言葉が、私の死亡時刻であるよりも。それなら、聖書を朗読してくれた方がまだいい──それでも

          映像用音楽

          歪んだ真珠のみる夢は 筋交いの欠けた家のよう 歪んだ真珠の眼には 打ち壊された生家が建つ その細い枝は無数につけた葉の重さにしなり、前景に垂れかかっている。中景では川面が陽光に反射し、不規則で小さな無数の閃光が眼に煌めき、雲ひとつないために青のカーテンを掛けたような空が後景を覆っている。 自転車の車輪、部活動の掛け声、風、風に押された木々、芒の葉の擦れ、昆虫類の羽音、真鴨の鳴き声、親子の会話、靴音、衣服の擦れ、呼吸 耳で聴き、肌で感じる機微に集中して。思考という檻から離

          2023/11/20

          取ろうとしても離れてくれないひっつき虫が癒着してささくれのように痛む夏と秋の狭間、一日にも満たない季節のよろめきは、蝉のいない夏。きりぎりすの鳴かない秋。それらが同時に過ぎるような無時間性が頬を緩めるのをみた。見たことも聞いたこともないようで、聞いたことも見たこともあったような刹那。「私はそれを幼い頃に見ていたような気がする」 もう見ることの出来ないもの。それでいて記憶の先ではいつでも戻ることの出来る情景。 グリッサンドで滑り込む冬。 言葉に出来ないからと心に留めた感情は

          生活の足音

          「部屋」 水槽からエアレーションの泡が聞こえる。この音をリアルタイムで聴くものが私自身しかいないということに、呼応された孤独は振動して滲んだ。泡の音と同じに、いつでもここで鳴っている。(感応してお互いの振動はより鮮明になる) 一人きりの部屋(その部屋は私の精神世界に似てきてしまっている) それゆえ、私は私でしかないと、至極真っ当な実感が、より鮮明になるのだ。自分自身が全くひとりきりで、生まれてきたことに何の意味もないこと、意味は与えられたものではなく、自分自身が与えるものな

          この人生の宇宙へ

          三次元の檻の中であなたと僕は、人生を拵えていく。この身体がこの地球の、宇宙の循環の中に組み込まれる日に、分子の淀みであっただけの僕らが、胸をときめかせる感情に出会い人生を拵えた日々は、また僕らと変わらない多くの淀みたちを残して去る。僕には、人生は、その日に雲散霧消するだけの軽さでは無いような気がしてしまっている。 美しさに出会う分、苦しみを知るだろう。そしてその苦しみがまた美しさに変わることもあるのが不思議さの一つで、この世界の不思議さがまるきり美しいことに心揺さぶられるのも

          この人生の宇宙へ

          内分泌

          「転ばないようにね!」強く念を押す母親の声が、風を皮膚に感じるよりもずっと速く鼓膜に届く。 子供がアスファルトの上で走っていて、靴とアスファルトが接地する時、鈍い音が鳴る。僕がそれらを見て、聞いた時丁度、子供の体勢がよろめく。 素早く駆け寄った母親の声掛けよりも、子供の泣き声の方がずっと、自動車の轟きさえもかき消すほど大きい。アスファルトの上に陽光が差している、またその上から子供の頬から滴った涙が滲んだ。 ファミリー層の多い街だから、こんなシーンを見つけることも容易いのか、い

          壁 随想録

          無関心を装うのはプライドの仕業で、その鎖は素直に喜ぶことも阻む、粘ついた壁のことを考える。嫌悪感と粘性の密接な関係。 自らが許せていない行動を、許している他者に出会う時、その相手に対して無関心のままではいられない、築かれた壁の内部には恐ろしい巨人が潜む? 彼、彼女は誰かがその壁を破壊することを強く願う。ただ、世界の条理は、自らが築き上げたものをそのままにするのも、破壊するのも、それは自らに委ねられている。彼、彼女はその条理を不条理とはき違える。 壁が壊されて侵食される諸々

          日記02/08

          斜めから差す陽の作る影が、中学三年生から少しも伸びなかった背と対比するように長く伸びている。 どんどん度数の合わなくなるコンタクトでぼやけた、それでも裸眼よりはずっとましな世界を見る。アスファルトの道路がおぼろの向こうまで続いている。 今の視力を測るのが億劫で、度数の合ったコンタクトレンズがどれなのか分からない。買い換えようと常々思う眼鏡も、眼鏡屋に行く時間が億劫でまだ買い換えていない。 花粉症の薬が眠気を誘うからか、ここ最近の夜はよく眠れる。だからといって日中快活に動いてい

          回想2023/02/07

          一昨日、夜空を見上げたら今日の月が満月だって気付いた。 その時、前よりも夜空を見上げることが少なくなったようにおもえて、少し寂しくなった。前はもっと満月を見つけていたような気がした。 周りの環境よりも目の前の狭い液晶の中や、生活の些細なことにばかり気を取られて、周りの今いる場所のことを広い目線で眺めることを怠ると、失われていくものがあると知っている。知っていながら僕の瞳は狭い隙間の中に吸い込まれて身動きが出来なくなっていることがある。 この前、積もらなかったけど、霙に近い雪

          回想2023/02/07