FIREして宇宙飛行士試験を受けて落ちた話
こんにちは!
今回は、備忘録的なエッセイです。
内容は、FIREして宇宙飛行士試験を受けて、そして、落ちた話です。
端的に言えば、僕の自分探しの話でもあります。
ながいながい自分探しの終着点
僕は、2021年11月にFIREしました↓
それから数ヶ月間はゆっくり休んで、2022年のはじめから約半年間、宇宙飛行士を目指して試験を受けていました。
そして。
落ちました。
自分の中では、もう少し先に進めるのではと思っていましたが、それは過信でした。
完敗です。
宇宙飛行士は僕の夢のひとつで、新卒での就活時(23歳)から試験を見据えて過ごしてきたので、10年以上の年月、人生の3分の1が経ったことになります。
なので、落ちたときの喪失感もとても大きかったです。
人生そのものを否定されたような感覚さえしました。しばらくは、宇宙のニュースも見たくありませんでした。
それまで身体づくりと称して、アルコールを断っていましたが、その日を境に毎日アルコールに入り浸る始末です笑
一方で、落ちたことに不満はありません。
納得感もありました。
それは試験を受ける中で、自分に足りない部分がたくさんあったように思えたからです。
宇宙飛行士としてのメンタリティ、大事な人を残して死ぬ覚悟、自己プロデュース力、英語力などなど……思い至るところは山ほどです。
ちなみに、試験対策としては、以下のようなことをしていました↓
・ 仕事や能力の棚卸し、志望動機のブラッシュアップ
・ 宇宙開発の歴史、宇宙飛行士の資質の理解
・ STEM(理系科目)や一般教養の勉強
・ 英会話とTOEICの練習
・ ダイエット、筋トレ、走り込みなどの身体作り
単純にこれらの試験対策から得られることはとても大きかったです。
また、目標にむけてストイックに頑張るのはつらいと思うこともありましたが、部活っぽくて楽しく感じることもありました。
何よりも、試験対策のひとつとして、自分のやってきたこと、これからの人生でやりたいことを深堀りしたことで、自分の考えが研ぎ澄まされていく感覚がしました。
これらを通して、僕のながいながい自分探しの旅もようやく終着点にきたように感じました。
”幸せ”とは何か?
分かったことのひとつは、僕はこれまで固有名詞としての夢を追いかけ続けていたということです。
エンジニア、FIRE、宇宙飛行士、小説家……。
僕の夢は、一言で形容できるものでした。
しかし。
いくら頑張って自分の理想の固有名詞になったとしても、ソレの中には本当の幸せはなかったのです。
(「幸せがない」というより「微妙な違和感」「何かがフィットしない感覚」と言うほうがしっくりきますね。)
自分がこれまでの人生で幸せを感じたとき、そこにこれらの肩書きが必要だったのでしょうか?
もちろん、答えは「NO」です。
幸せを感じたとき、それは
・ 何かに夢中になっているとき
・ これまでできなかったことが、できるようになったとき
・ 仲間とよろこびをわかち合ったとき
・ 自分の人生を自分でコントロールしていると思えたとき
・ 自分の存在がみとめられたとき
・ くるしくて消えてなくなってしまいたいと思うときに、誰かが手を差し伸べてくれたとき
・ 誰かが僕の手を必要としてくれたとき
このとき、肩書きなどいりませんでした。
このとき、僕はむしろ、ただのむきだしの自分だったのです。
僕は、肩書きを得ることで何者かになりたかったです。
何者とは、自分ではない誰かです。
でも、その肩書きを得たとしても、自分の心は満たされませんでした。
それは、そうです。
僕は、決して何者にもなれはしないからです。
自分は自分であり、自分は自分以外にはなれない。
いくら着飾ろうとも、ぐずで、うすのろで、どうしようもなく怠け者で、かっこわるい自分なのです。
ながいながい自分探しの旅の終着点に、そんな自分が立っていました。
そして、このながい旅を振り返ってみたとき、そんな自分でも、一生懸命生きて、幸せを感じていたのです。
本当に、ほんとうに遅まきながら、僕はこんな単純な事実にようやく気付きました。
僕は、自分は陥るはずがないと思っていた、目的と手段の混合に陥っていました。
大企業のエンジニアである自分が好きなわけではなくて、ゼロからものを創り上げて、仲間と喜びを分かちあうこと、人の役にたつことが幸せだったのです。
FIREして悠々自適な生活をすることが楽しいのではなくて、人生を主体的に選択する自由が得られたから幸せだったのです。
宇宙飛行士も、未開拓の場所を人類のために開拓して、人々の視座や価値観を変えたかったのです。
自己を実現して、幸せを得るために、これらの固有名詞になる必要はありませんでした。
そして、これからも固有名詞など必要はないはずです。
自分は自分として、ただ一生懸命生きていくしかなく、そのなかにこそ幸せがあるのだと思いいたりました。
ここに気付けたのは、ほんとうに良かったです。
それだけでも、宇宙飛行士の試験を受けた甲斐がありました。
そして、もう一つ、良かったこと。
それは、もう一度、働こうと思えたことです。
宇宙開発の歴史を知るなかで、働いてみたいスタートアップがいくつか見つかりました。
できれば、これまでのスキルを活かして、宇宙を開拓してみたいです。
宇宙飛行士でなくても、それは僕にもできるはずです。
これまで、スタートアップは倒産のリスクもあるし、怖いという漠然とした不安があり避けてきました。
ですが、いまでは倒産したとしてもFIRE生活に戻るだけなので、金銭的な面を気にすることがなくなりました。
そこで、宇宙関連のスタートアップ企業を受けてみようと思うようになりました。
そう思えたので、FIREした甲斐もあったと思うようになりました。
おわりに
僕は、FIREしていなかったら、仕事の忙しさを理由に、宇宙飛行士の試験を受けることすらしなかったかもしれません。
そういう意味で『FIRE→宇宙飛行士試験』は、僕の人生にとって、必要なステップだったのだと思います。
また、FIREしてすべてをかけて宇宙飛行士試験に臨みましたが、まったく届きませんでした。
逆にいえば、忙しい仕事をしながら試験に受かる、そういう連中が宇宙飛行士になるものだとすら思いました。
それで、ようやく諦めがつきました。
僕の宇宙飛行士になりたいというというささやかな夢は、同世代の別の人、もしくは次の世代に託したいと思います。
僕は、もう一度、自分のスキルを活かして宇宙を開発し、人々の視座や価値観を広げたいし、人々とモノを創りあげる喜びを分かち合っていきたいです。
なので、もう一度、働いてみたいと思います。
もし受かったら、このFIRE生活もいったん終わりです。
もしかしたら、またFIREするかもしれませんが、僕は働く戦略(働かない戦略?)自体を見直そうと思っています。
「仕事をやりきる→リタイヤ」みたいな働き方ではなく、これからは、仕事と仕事の間にミニリタイアをミックスして、生きていこうと思います。
以下の記事でも書きましたが、FIREして思うことは『早期退職』は魅力的な人生の目標でもなんでもないということです。
たしかに、社畜として馬車馬のように働くより、FIREしてのんびりくらすほうが有意義な人生ではあります。
だからといって、仕事を辞めて隠居生活を送り、社会に貢献しない人生も同様につまらない人生です。(*個人の感想です)
なぜなら、仕事は自己実現するための最大のツールであり、また、人は社会とのつながりから幸せを生み出すからです。
FIを果たして、やりたい仕事をする。
これが、多くの若者のあいだでFIREが注目されている本当の理由ではないでしょうか?
僕たちは、100歳まで働く世代です。
なので、自分に必要なタイミングでリタイアを選択して、自分の必要なタイミングでまた仕事を選択する。
このように、プロジェクトベースでの働き方(個人主体の働き方)が普通になってくると思います。
僕も、もう一度働く予定ですが(ちゃんと受かれば…笑)、必要があればまたミニリタイアします。
そして、また働くでしょう。
もしかしたら、またFIREを目指すかもしれませんが、いまのところ考えていません。
それでも、僕がいま持っているFIREに関する知識や経験は、これからも発信していきたいと思っています。
いままで応援ありがとうございました!
とはいえ、発信をやめるわけではないので、これからも応援してもらえるとうれしいです笑
これからもよろしくお願いします。
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