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シン・放浪戦記 第2話「旅立」

羅門

深夜特急の漂白の旅人というイメージにあてられたせいだろうか?それとも、ユーラシア大陸を横断するという響きにあこがれたせいだろうか?はたまた、直近で勤めていた企業が旅行関係だったせいだろうか?

わたくしは10か月程度残った休学期間を旅することに決めた。

デジタルハリウッドという教育機関を卒業し、華やかさとIQの低さに満ち溢れ不快の源であった大学から距離を取り休学。学生兼業で働き始めた会社はスキルはあった自負はあったしそれなりに結果も残せたが、あまりに若すぎて退職。次々降ってくる新しい仕事やITとは何なのかよくわからない人たちから降ってくる修正や追加要件にげんなりする日々もなくなると思うと犯罪的な解放感。

そもそも自分がなにものなのか?自分探しという言葉はまだまだ時代の最先端で大真面目な顔で当てのない答えを探すふりをしながら流し込むウィスキー。当然ながら結論など出るはずもなく、思いついた画期的な答えは翌朝にはトイレの奥底へとものすごい勢いで消えていく。

三軒茶屋の蕎麦屋でタヌキそばとさよならすると、渋谷で山手線に乗り換え池袋に向かう。地方自治体の文化財になっているらしいその大学の校舎はキラキラしていてはやりの服装で身を固めた男女が愛を語り合う校風はクリスマスに最高潮を迎える。

無頼派に入れ込みウィスキーを毎晩のように流し込みながら気絶し眠りにつく。二日酔いを少しでも抑え仕事の頭にするためにドリーム珈琲でアイスコーヒーを流し込み、気が向くとキャンパスに向かう。しかしそこで目にする同い年くらいの男女を見ると、全員殺したくなるので、すぐに回れ右をしてオフィスに向かう。授業を受けているとサーバーが落ちて呼び出されたことも一度や二度ではないが、それはどこか嬉しくすらあった。

”俺は何も考えずキャンパス歩いている生ゴミとは俺は違う。働いて金稼いでいるんだ、しかもはやりのITで。”

第三者からみれば、同じ大学に通っている時点で目くそ鼻くそであるが、二日酔いによる抑うつ症状を緩和するための杖として社会性を維持していることがかろうじて自尊心としてわたくしを支えていた。その社会性を失った今、特に生きている意味もないし、大学のどこにももう存在意義などない。やりたいこともやることもない。

思いつく準備も特になかったが、東南アジアは何回かフラフラいったことがあったのでその時の装備を引っ張り出した。しかしふと冷静になってみる。ユーラシア大陸を本当に横断するとなると、タイやマレーシア1国に行くとは勝手が違う。ビザが必要なめんどくさい国もあるらしいし、寒い国もありそうだ。ルートもいくつかありそうだ。深夜特急よろしく博多あたりから韓国釜山までフェリーででて、中国を突っ切ってインドに出て中東にでて欧州へという流れだろうか?ロシアへ出てシベリア鉄道でユーラシア大陸を横断するのは何かズルをしているような気がした。変な生真面目さが計画時から顔を出す。二日酔いの頭を抱えながら、期限ぎりぎりに休学届を出す。なんで休学するのか?など聞かれ、「仕事が嫌になったので旅に出ます」と言ったら羨望ともとれる怪訝な顔をされた。就職課では親身になって、ご両親と相談されて留学しては?など有意義な言葉を賜ったが、大人の言うことに耳を傾ける余力はもう残っていなかったように思う。

学生課や就職課で事務手続きを終えると、ツタが生い茂った地方自治体の文化財に登録されたらしい校舎に別れを告げた。

幸先

成田を飛び立つ数時間前まで仕事の引継ぎレポートを書いていた。徹夜で書いていたので朦朧とする頭を抱えながら成田に向かう。クアラルンプール経由トランジットでウィーンへ向かう。たしかトランジットが5~6時間あったように思う。暇なので空港内のインターネットカフェのようなスペースで会社から引継ぎのメールの返信がないのか確認しようと思い、PCを有料で使えるスペースにはいった。土壇場でアップデートした部分があったのでちょっとひっかかっていたこともある。受付と話して、PCを操作すると返信も特になく、ふと胸をなでおろす。そしてお会計となり、ジーンズの後ろのポケットに入れた財布に手をやる。やばい財布がない!50万円程度入っているはずなので今回の旅費の半分を最初の地ウィーンにつくまでになくなる。画面蒼白になり、慣れない完徹なんてするんじゃなかったと後悔を打ち消すために心の中で悪態と冷静になれという自分自身への掛け声を秒速100回ほど交互に繰り返す。こういう時、ネガティブなことを言うと結果が悪くなる気がするし、冷静で無の状態でいると結果が良くても悪くても受け止められると信じている自分がいた。そのため、勤めて平静を装い、焦りの衝動を冷静な言葉で打ち消す、それを繰り返す。受付に懐のセカンドバックから金を渡すと急いで直前まで時間をつぶしていた場所に戻る。

とはいえ、わたくしの顔の血相がおそらく変わっていたのであろう。自分が座っていた付近のベンチをきょろきょろしていると、ヘジャブをつけた自分の母親くらいの女性が自分に話しかけてきた。傍らに彼女の子供が指をくわえてこっちを見ている。彼女は片手にわたくしの財布を持っている。相手が何語でしゃべったのかは覚えていないほどには動揺していたが、財布のなかの国際学生証を見せながら this is mine, thanks a millionといったように思う。相手の女性は怒っていた。「気をつけなさい!」と言っているように聞こえた。日本式ジェスチャーで謝る。「ごめんお母さん!でもありがとう」

意外と幸先の良いスタートかもしれない。クアラルンプールからウィーンまではボーとした頭だと死ぬかもしれないと思い、ウィスキーをしこたま飲んで気絶して睡眠時間をエコノミークラスで確保した。

第3話へ続く




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