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白目をむきながらも、がんばるママ。みんな違って、みんな美しい。

ママはみんな違って、みんな美しい。

▫️ママにだって個性がある

人それぞれに個性があるように、
一括りにされがちな「ママにだって
個性がある。

育児の仕方が違って、当たりまえ。

育児に正解も不正解も、ない。


その上で、

愛するわが子を何より大切に思い、
日々試行錯誤
しながら、

ああでもないこうでもないと
育児に励んでいるママ。

毎日へとへとになりながら
一生懸命に頑張る姿が、
美しくないわけがない。


まるで自分を見ているかのようだった。


先日のお話。

駅で電車を待っているときに、
娘となんとなく似ている子を見かけた。


年齢はおそらく、
娘よりも1歳ほど年下だろうか。


おさげの三つ編みをした、
かわいい かわいい女の子。


わが家も一度体験に行ったことのある
体操教室の、ユニフォームを着ていたので
きっとお教室帰りだろう。


おませな言動も、表情も、仕草も、
ママへの口答えの仕方も みーんな

見れば見るほど、娘にそっくりで
あまりにも愛おしくて、目で追ってしまい ──


ふと隣にいるママを見ると、
とても疲れた顔

表情はなく、目に覇気がない。



▫️「ごめんね」の代わりの「だいすき」


女の子が「ママぁ〜ママぁ〜」と
ママの足に両手でしがみつきながら

ママ だぁ〜いすきだもん!
ママ だいすきだから!」と連呼。


もしかすると、
ママに怒られちゃって

もしかすると、
疲れたママに元気になってほしくて

もしかすると、
ママが不機嫌なのを察して ・・・

そんな「ごめんね」の気持ちの代わりに
だいすき」を伝えてるのかな?

なんて、勝手に想像したりして。


その光景、側から見ると
とても可愛らしくて。

ママにくっついて、本当に可愛い。

見てるこっちが笑顔になるくらいに。


だけどママは、顔色ひとつ変えずに
「なに?」「もぉ…」「じっとしてて」と

やっぱり疲れ切っている。



▫️「危ない!」「何やってるの!」


電車に乗り、3駅ほどで降りる駅に到着。
改札行きのエスカレーターに向かうと ──

目の前に並んでいるのは、さっきの親子。


降りる駅も同じだったみたい。偶然。
これまた、勝手なほどに親近感。


エスカレーターで手を繋ぐ、女の子とママ。

手を繋いだまま、女の子が
エスカレーターを上ろうとしたり
急にしゃがんだり
して、

ちょっと!危ない。何してるの?!!
と、繋いだ手を強く引っ張るママ。


───・・・なんだろう。

まるで、
私自身を見ているかのようだった。

だってさ、この場面
わが家の外出時にもよくあるやーつ。

エスカレーターでは歩きません!」って
私も何度言ったことか。笑


「危ない!」「何やってるの!」「もう知らない!」
「いいかげんにして!」「走らない!歩いて!」

母親になってから、いったい私は
何度この言葉たちを言ったのだろう。

というくらいに、毎日何かしら怒鳴ってる。

そのたびに
「あぁ…またヒドい言い方をしちゃったな…」
と反省し、娘に謝る。を繰り返す日々。


駅のホームで、女の子がママに
「ごめんね」の代わりに
「だいすき」
と伝えてるのかな?

と思ったのも、

私自身が
娘にそうさせてしまったことがあるから。


娘に、私の機嫌取りをさせてしまったことが
これまでに何度もあったから。

自分の経験 プラス
ママや女の子の表情からも、そう感じた。



そのママと私は、雰囲気はまるで違う。

顔も、スタイルも、髪の毛も、服装も…

あ、リュックはまったく同じだったな。
それもまた、親近感で。

パッと見た感じは、まったく違うのに、
なぜか “とても自分にそっくりだな” と感じた。


女の子とママのやりとりを見ながら
「客観的に見たらこんなに可愛いんだな」
「私と娘も、こんなふうに見えてるんだろうな」
「こんなに可愛いのに、私は毎日ガミガミ…」

と微笑ましく思いつつも、自分の育児を反省
同時に

「微笑ましいけど、きっとこのママもしんどいよな」
「このママ、ちゃんと休めてるかな?」
「いろいろと自己嫌悪になってないかな?」

なんて、勝手な想像で心配しちゃって。



改札を出たら、ここからは別々の帰り道。


遠くなるママの後ろ姿に
「毎日本当に本当に、おみごと様です!」
「しっかりと自分を褒めてくださいね!」
「娘さんへの愛情、必ず伝わってますよ!」

と、心の中で声をかけた。


だけど、心の中で唱えるんじゃなくて
実際に声をかけたらよかったな。と
すぐに後悔
した私でした。


声をかけることで嫌がられるかもしれない。
でも、もしかすると
いっぱいいっぱいなママの心を
ほんの少し、軽くできるかもしれない。


それだったら、自分の行動は一択!

次にそんなママを見かけたときには、
自分が周りからどう思われようとも
すすんで声をかけて、救っていきたい!

強く思いました。


「ママ」とひとくくりにされがち
だけど、みんな違う。


「ママ」と総称されがちな私たちだけど
ひとくくりにされるほど、育児は甘くない。


周りの環境も、年齢も、子どもの人数も、
パートナーも、経済的な状況も、健康状態も、
すべてが違う。ひとそれぞれ。

同じママは、一人として存在しない。


でもね?間違いなく、共通して言えることは

▫️どのママも、とんでもなく美しい!

ということ。


髪を振り乱して子どもを追いかける姿も

鬼の形相で子どもを怒ってしまう姿も

今にも倒れそうな顔で授乳する姿も

寝不足で人格崩壊してしまう姿も

般若のような顔で映る出産前後の姿も──。


全部ぜんぶ、美しい。


とはいえ、育児まっただ中にいる 今 は、
そう思えなくて 当たりまえ。

毎日ボサボサでクタクタでイライラで…
そんな私が、美しいわけないじゃん!
」って。


でも

10年後20年後、いや、50年後。


子どもが無事に大きくなって巣立ったあと、
妊娠・出産・育児の軌跡を写真で振り返りながら

「あぁ…。私、本当に頑張ってたな。」
「こんな顔で育児してたんだ…頑張ってたな」

と、すべてが愛おしくなる日が必ず来る
私は信じている。



友人や姉妹兄弟、職場の人、知らない誰かの
他人の育児”に、歩みを合わせる必要はない。

▫️みんな違うのが、当たりまえ。


世の中のママたちが
自分が思う育児を、自分を苦しめない範囲で
自分とその家族だけの育児” をできたらいいな。


他人からの “愛の無いアドバイス” には
なんの価値も無い。

自分自身が「不要」だと感じたアドバイスは
受け止める必要なんてない。


そのアドバイスや声掛けに『』があるか。
それは、きっと、絶対に分かるから。

たとえ厳しくも『』を感じ取れたのならば
素直に受け止めて、自分の育児に生かせばいい。


そんなことを思った、最近のお話🌷


そしたら、また🕊️

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